骨董品

尾崎紅葉筆「入院」日記断簡5葉幅

冨田鋼一郎
H23.0 x W70.5 (cm)

〇三月三日、快晴、風は有つたが、午後から頗る暖かで、寔(まこと)に桃の節句と云ふべき日であつた。予が入沢博士の言に聴いて、既に先月の二十七日入院の事と略極つたのであるが、いつそ月が替つてからと、一日に改めた所、朔日(ついたち)から縁起でもないと、家人に止められて、又二日と成つた。然るに、老人のいふには、二日は丑の日、此日には事が長引く、たとへば病人の床に就くのも今日は忍ぶのである。忌はしい事だと切に止められて、又延して三日に成つた。処が寅の日、寅は千里往つて千里返る、今日入院したら、一たびは出ても又直に入ると、或人が来て止める、節句でもあるから四日にしてはと家人は云ふ。予の曰く、四日は卯の日、卯は前脚が短いから、上るに速く下るに遅い。病勢が然(さ)うあらはれては困る、はや二日も延したのであるから、三日は寅の日でも直に往つて直に復ると解したら差支えは無いと、いよいよ此日に定めたのである。
午後に水葉生を遣り調度一車を送付けて、鏡花風葉と共に家を出たのは二時過ぎであつた。恰も嶺葉生は今日の二六の草分衣が当分休載といふ社告を見て、慌忙(あはたゞ)しく見舞に来たのが、此始末であつたから痛く驚いたらしい。
稍(やや)三時病院に着いた。病室は第二内科室一一の側九号といふので、北向の十二畳約(ばかり)の大きさで、其の中央に臥床(ベッド)を置いて、内には秋声、斜丁、春鴻、水葉、吟葉がはや詰めて居る。予と鏡花、風葉とを併せて八人推(おし)入つたのであるから、殆ど居る所も無い。正午前には、はや半古氏が見舞に来られたのであるが、予の余りに遅かりし為、一時間ばかり前に還られたと云ふ。
直に看護婦が入つて来たが、一同の面を洵(みまわ)して、
「患者さんは何方で御座います」
と訊ねるので皆苦笑した。
「私ですよ。」と答へると、三時に回診が有るから、其前に脈拍体温等を測るのゆゑ、これへと言ふまヽに、帽子を脱し、羽織を取って、ベッドに上(のぼ)つた。

明治36年3月3日付けの日記断簡。『紅葉全集』第11巻「紀行・日記」所収。

紅葉は、この年の10月30日に亡くなった。春先の入院時の様子が手がわかる。
『紅葉全集』第12巻「書簡・逸文・未定稿・雑篇・補遺」の「年譜」によれば、「明治36年3月3日大学病院に入院、胃癌と診断された。3月14日退院」とある。

尾崎紅葉(おざきこうよう1867-1903)

小説家。名は徳太郎。号は「縁山」「半可通人」「十千万堂」「花紅治史」など。物語の巧みさと艶麗な文章で、圧倒的人気を獲得、泉鏡花・小栗風葉・柳川春葉・徳田秋声らの逸材を出した。作「多情多恨」「金色夜叉」など。

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ABOUT ME
冨田鋼一郎
冨田鋼一郎
文芸・文化・教育研究家
日本の金融機関勤務後、10年間「学ぶこと、働くこと、生きること」についての講義で大学の教壇に立つ。

各地で「社会と自分」に関するテーマやライフワークの「夏目漱石」「俳諧」「渡辺崋山」などの講演活動を行う。

著書
『偉大なる美しい誤解 漱石に学ぶ生き方のヒント』(郁朋社2018)
『蕪村と崋山 小春に遊ぶ蝶たち』(郁朋社2019)
『四明から蕪村へ』(郁朋社2021)
『論考】蕪村・月居 師弟合作「紫陽花図」について』(Kindle)
『花影東に〜蕪村絵画「渡月橋図」の謎に迫る』(Kindle)
『真の大丈夫 私にとっての漱石さん』(Kindle)
『渡辺崋山 淡彩紀行『目黒詣』』(Kindle)
『夢ハ何々(なぞなぞ)』(Kindle)
『新説 「蕪」とはなにか』(Kindle)
『漱石さんの見る21世紀』(Kindle)
『徹底鑑賞『吾輩は猫である』』(Kindle)
『漱石さんにみる良い師、良い友とは』(Kindle)
『漱石さん詞華集(アンソロジー)』(Kindle)
『曳馬野(ひくまの)の萩』(Kindle)
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