夏目漱石 俳句 色紙掛軸
冨田鋼一郎
有秋小春
鄭老画蘭不畫土
有為者必有不為
酔来寫竹似蘆葉
不作鴎葉無節技
丁酉秋日 崋山外史 朱文方印「渡邉登印」
(書き留め) 渡辺小華 「先人書七絶」
天保8年(1837)の染筆。崋山の息子の小華による書き留めがある。「先人」とはむろん父の崋山のこと。
鄭老画蘭不画土 鄭老蘭を画けども土を画かず
有為者必有不為 為すことある者は必ず為さざることあり
酔来写竹似蘆葉 酔い来りて竹を画して蘆葉に似たるも
不作鴎波無節枝 作らず鴎波が無節の枝
鄭思肖はよく蘭を描いたが、それは露根蘭、無根蘭で、土に生えたものを描かなかった。有為有能の士は、時にはそのために、自ら無為無能の位に就くものであるが、彼こそその人であった。自分も竹を好んで描くが、たとえ酔って描いて、それが蘆葉に似るようなことがあっても、宋朝の一族であっても敵方の元朝に仕えた趙子昴(1254-1322)のように無節操な枝などは描かない。
武士としての身の処し方を詩に託している。この詩は、天保3年(1832)以降の竹の絵に多く見られる崋山自身の作である。また、竹は生涯を通じてもっとも多く描いた画題である。
崋山先生の四君子では、特に竹が優れているように思う。恐らく先生の竹は、我が国の書家の中では古今第一を以って推すべきものだと自分は考えている。崋山先生はよく自作の墨竹に、次(注:上記の七絶)のような詩を題しているが、その気概を以って竹を写したればこそ、竹の凛然たる姿を紙上に移し得たわけである。(「南画鑑賞」)
引用:小室翠雲「崋山先生の芸術に就いて」