松村呉春筆「勧進帳俳画」幅
冨田鋼一郎
有秋小春
たかゝ峰三竹亭にて
諸共に山めぐりする
時雨かな
けふみずは散のこるとも
いかならむ時雨るころの
もみぢ葉のいろ
承応二年
神無月仲旬 眼玄陳 印
季語:時雨(冬)
鷹ヶ峰:京都北、本阿弥光悦が家康に領地として賜った場所。
山々が連なる鷹峯に秋が深まり、冬の到来を告げる時雨がやってきた。山々全体が時雨に覆われてしまった。豪快な景色を句にした。
この日を見逃してはいけない。はらはらと時雨が訪れる今日、紅葉した木々の葉の風情を見逃してしまっては、残念なことだ。季節の移り変わりの風情を楽しむことは、四季のある日本ならでは楽しみだった。名月、菊、紅葉、時雨と展開してゆく年の終わりをこころから味わなければ、口惜しいのだ。
芸術の伝統を育む鷹峯の地。ここに三竹亭があった。
すこし縮こまった特徴のある玄陳の書は珍重された。
「俳文学大辞典」(角川書店)によれば、承応四年(1655)には玄陳は方眼であるとされているが、本懐紙によって、その二年前の承応二年には方眼に叙せられていたことがわかる。
江戸時代初期の連歌師。里村紹巴の孫。里村玄仍の子。玄陳の連歌師としての評価はすこぶる高く、法眼に叙せられた。