雑司ヶ谷鬼子母神堂境内の柘榴の実
冨田鋼一郎
有秋小春
そんな中、内田樹さんの意味深な言葉を見つけた。
「無知」とは、
知識の欠如ではなく、ジャンクな情報で頭がぎっしり詰まっていて、新しい情報の入力ができない状態のこと。
「学び」とは、
入力があるたびに、それを容れる器そのものの形状や容積が変化していくこと。
「教育」とは、
危うくもあるこのプロセスを生徒が傷つくことなく通過できるよう慮(おもんばか)ること。
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知識をひけらかすのが教師の役割だと思うのは時代錯誤で勘違いも甚しい。
漱石にとっての教師像とはどのようなものだったのか。
「教える」とはなんだろう。そして「学ぶ」とはなんだろう。
漱石が取り組んだ全ての小説の目的は、この問いに答えようとしたものだと考える。
生きていくとは、これを自問自答を繰り返していくことではなかろうか。