読書逍遥

第79回『思考の技術論』鹿島茂

冨田鋼一郎

『思考の技術論』鹿島茂

副題:自分の頭で「正しく考える」

全27章、550ページを越す論理学の教科書。

副題の「自分の頭で正しく考える」を見て、小林秀雄が学生相手の講演で「良い質問をしてください」と注文をつけたことを思い出した。学生でなくとも小林秀雄にそう言われたら、質問するのを躊躇する。

日本では、自分の頭で「正しく考える」ことを何故か学校で教えてもらった覚えがない。

専門家の「論理学」の本は、これまで観念的で無味乾燥だと決め付け、敬遠してきた。

しかし、本書は、デカルトの『方法序説』を著者がきちんと消化した上で、具体例を使って述べているので、私にもなんとか読む意欲が持続した。

何故、デカルトから出発するのか。
「ものを考える」ことは次の二つに分解される。
「問いを見つけるための技術」+「問いから答えを導くための技術」から成り立つ。

デカルト以前の西洋論理学の対象は、もっぱら後者の問いから答えを導くための技術」に関することだった。

前者の「問いを見つけるための技術」は、キリスト教社会ではなんであれ問いを提示することは、禁じられてきた。それは神の創りたもうた世界に疑いを抱くことに他ならず、畏れ多いこと。問いとなることがらは、全て神によって与えられていた。人間はどう解くのかということだけ。

だからデカルトの「我思う、ゆえに我あり」と「全てを疑おう」は、天地をひっくり返すほどの根底的な異議申し立てだった。

「自分の頭で良い問いを考える」西洋近代哲学はデカルトから始まる。
時には「良い質問をする」=「自分の頭で正しく考える」エクササイズをするのは大事なことだ。

ノートに書きつけた言葉。
「論文とは、自分の頭でものを考えるために考え出された方法そのものである」。

フタリシズカを見つけた。

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ABOUT ME
冨田鋼一郎
冨田鋼一郎
文芸・文化・教育研究家
日本の金融機関勤務後、10年間「学ぶこと、働くこと、生きること」についての講義で大学の教壇に立つ。

各地で「社会と自分」に関するテーマやライフワークの「夏目漱石」「俳諧」「渡辺崋山」などの講演活動を行う。

著書
『偉大なる美しい誤解 漱石に学ぶ生き方のヒント』(郁朋社2018)
『蕪村と崋山 小春に遊ぶ蝶たち』(郁朋社2019)
『四明から蕪村へ』(郁朋社2021)
『論考】蕪村・月居 師弟合作「紫陽花図」について』(Kindle)
『花影東に〜蕪村絵画「渡月橋図」の謎に迫る』(Kindle)
『真の大丈夫 私にとっての漱石さん』(Kindle)
『渡辺崋山 淡彩紀行『目黒詣』』(Kindle)
『夢ハ何々(なぞなぞ)』(Kindle)
『新説 「蕪」とはなにか』(Kindle)
『漱石さんの見る21世紀』(Kindle)
『徹底鑑賞『吾輩は猫である』』(Kindle)
『漱石さんにみる良い師、良い友とは』(Kindle)
『漱石さん詞華集(アンソロジー)』(Kindle)
『曳馬野(ひくまの)の萩』(Kindle)
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