ドイツ銀貨5マルク古銭プルーフパルタザール・ノイマン没後225年記念
冨田鋼一郎
有秋小春
座右之銘
人の短をいふ事なかれ
己が長をとく事なかれ
物いえば唇寒し秋の風
芭蕉翁
「蕉風復興運動」。芭蕉没後80〜90年になる安永・天明期に「芭蕉にかえれ」の機運が最高潮に達した。
芭蕉を敬慕する蕪村は、一門とともに京都左京区一乗寺金福寺に芭蕉庵を再興した。金福寺は蕪村の墓所でもある。
蕪村が没する天明三年(1783)には芭蕉百回忌追善取り越し法要(10年も早く)が行われた。
桜の板木はこの時期に彫られ、大量に刷られて芭蕉復興運動に一役買った。これが蕪村の真筆かどうかはこの際たいした意味はないだろう。
彫り師の手早い手さばきが板木から伝わってくる。実際に刷って、240年前の往時を偲んでみた。
『芭蕉図録』所収の芭蕉真跡には「ものいへば」の句は、「ものいはでただ花を見る友もがなといふは何がし靄亀が句なり。わが草庵の座右にかきつけけることをおもひいでて」の前書で認められている。
『校本芭蕉全集』発句篇解説より
前書きの「人の短をいふ事なかれ己が長をとく事なかれ」は、『文選』の「無道人之短無説己之長」による。