ドイツ銀貨5マルク古銭プルーフテオドール・フォンターネ生誕150年記念
冨田鋼一郎
有秋小春
(前書き不詳)
又やがてあふいの車見に登れ 梨一
季語:葵祭(夏)
3俳人図の作者は、落款があるも不明。
中央は芭蕉翁。そばに門人二人が翁を囲んでいる。
「また、ぜひ機会をみつけて、都へあがり、葵祭りの牛車を見にお越し下さい・・」前書きが読み取れていないため、翁が誰かに向かって発したことばなのか、翁へのはなむけのことばなのか、はっきりしないのが憾みである。
京都下賀茂神社および上賀茂神社の祭り。当日、冠や牛車(ぎっしゃ)、桟敷の御簾などと葵蔓で飾ったからいう。
祭礼は、昔は陰暦4月の中の酉の日、今は5月15日。斉王時代・勅使らが行列して御所から下賀茂、上賀茂とめぐり、祭典・東遊・走馬の儀がある。
古来、祭といえば葵祭りを意味した、三勅祭の一。賀茂祭。北祭。
「奥細道菅菰抄」は、中興期のすぐれた芭蕉研究家である蓑笠庵梨一によって書かれた。自序によれば、『おくのほそ道』の註解を志し、四十までに芭蕉の足跡をほぼ踏査、六十に至って越前の丸岡に隠退して、その後十年を経て本書を完成したとある。以後の『おくのほそ道』の注釈で、本書に拠らぬものはないほどである。