渡辺崋山筆「長き日を」蕪村句画賛幅
長き日を云ハでくるゝや壬生念仏 夜半翁
朱文方印「登」
季語:長き日(春)
壬生念仏:京都市右京区壬生にある壬生寺で毎年三月十四日から十日間行われる念仏会の折、寺内の狂言堂で催される仮面をつけての黙劇。
壬生念仏のおもしろさに、長い春の一日を退屈だなどと口に出す間もなくて、日は暮れてゆく。「云はで」には黙劇の意も利かす。
春風駘蕩とした夕暮れである。壬生念仏の折、仮面をかぶって、声を出さずにいつまでも踊り続けるのは、暮れなずむ晩春にふさわしい。永遠に踊り続けていくのではないかと錯覚してしまう。男女の踊りの動作を見つめている者も、見とれて時間の経つのも忘れてしまいそうだ。
崋山の俳画である。ただし、賛の「長き日を云ハでくるゝや壬生念仏」は、蕪村の句なので、夜半翁と銘うっている。一見、蕪村の字とみまがうばかりの筆致であるが、印に「登」となっているので、渡辺崋山の作品であることがわかる。スケッチの名手である崋山が、蕪村句の詩情をよく汲み取って、庶民の一瞬のしぐさを捉えることに成功している。
『定本渡辺崋山』第Ⅱ巻「手控編」に、天保8年(1837)「客坐掌記」中に本図とまったく同様の画稿がある。ただし、こちらには「登」の印がない。
崋山の『俳画譜』という木版画帖で、俳画の具体例として、松花堂、光悦、立圃、英一蝶、許六、蕪村の六人をその具体例としてあげている。蕪村については、「(盆踊リノ図)蕪村の写意、夜半翁画ハ古澗ノ意ヲ取ニ似タリ」。蕪村の草画的技法の先駆的意義を画僧古澗(こかん)に求めている。これは、崋山がかねてから蕪村の俳画に注目している証である。
崋山の有名な肖像画群(「鷹見泉石像」など)から感じられる鋭い写実性、緊迫感などとは対極の作品だ。ゆったりとした心持ちで、あくまでも手すさびとしてサラッと描いたこのような小品にも一種の気品が漂っている。
私の敬愛する蕪村と崋山のつながりを伝える愛すべき小品である。