小林勇筆「甘鯛図」額
冨田鋼一郎
有秋小春
そもそも是ハ、播州赤穂郡なに
がし寺のそれがしとなのる有。帰命無
量のすミ頭巾引かぶり、つとめ行ふ
ひまひまにハ、俳諧の道に赤ゑぼし
きて一座をしむる人、前句所望あり。
いなミ野のいなともいはすまじき
けしきなれば、明石の海原うな月
の夜につきにけり
月の色や杉原一枚はりまがた 西翁
季語:月(秋)
杉原:鎌倉時代以降、播磨国杉原谷村で産した紙。奉書紙風でやや薄く、武家の公用に用いられ、また贈答品ともされた。江戸時代には各地で漉かれ、一般に広く使われた。すぎはら。すいばら。
月夜、穏やかな明石の海に煌々と月が照りわたる。播磨の月夜の海原は、杉原紙の少し毛羽だっている和紙を一枚張り付けたような得も言われぬような美しい色であることよ。杉原一枚を「張る」と「播磨」を掛けた。前句にも掛詞を連発した。「いな」ミ野の「いな」(否)。明石の「海」原(うなばら)「うな」月。
箱裏に「寛政八年丙辰表具出来」とあるので、表装と箱は百年後の寛政8年(1796)に作られたことがわかる。
江戸前期の連歌師・俳人。談林派の祖。俳名は一幽・西翁・梅翁など。連歌を里村昌琢に学び、俳諧に転じて別風を興し、門下に西鶴をはじめ多数の俳人を輩出。