ドイツ銀貨5マルク古銭プルーフアルベルト・シュバイツアー生誕100年記念
冨田鋼一郎
有秋小春
遊
深田嘯風子亭
河風や秋をもミ出す藪構 丈草
唐黍おこす夕月の影 嘯風
踊子の後あふぎにさし寄て 魯景
飲ほど青く青きほど飲 友然
馬かへバそこらあたりがほめそやす 風
すぐに暮たる白雨の空 草
ウ裸身を風に吹るヽ湯殿口 細石
主もいつしか連になる旅 景
(以下略)
元禄13年は1700年、丈草35歳当時の半歌仙。
芥川龍之介が蕉門の作家の中で、最も推重していたのが、内藤丈草だ。「蕉門の竜象の多いことは言うを待たない。しかし誰が最も的々と芭蕉の衣鉢を伝えたかと言えば恐らくは内藤丈草であろう。」
丈草の佳句をいくつか。
・幾人(いくたり)か しぐれかけぬく 瀬田の橋
一読、広重の浮世絵の世界を思い浮かべた。
・まじわりは 紙子の切を 譲りけり
・何事ぞ 鰌のにげし 根芹かな
・くろみ立 沖の時雨や 幾所
・大はらや 蝶の出てまふ 朧月
・うづくまる 薬の下の 寒さかな
・やねふきの 海をねぢむく 時雨かな
江戸中期の俳人。蕉門十哲の一人とされる。姓は各務(かがみ)、別号、東華坊、獅子庵など。美濃の人。1690年ごろ芭蕉の門に入り、《続猿蓑》の選を助ける。美濃派を興して蕉風を継ぎ、諸地方を行脚して自家の俳諧を確立、宣伝に努めた。平俗な機知に富んだ作風で、俳論にも優れる。