「時雨」時空を越えたつながり
冨田鋼一郎
有秋小春
文化の日に想う。
今年のニューヨークシティマラソンは11月5日。56回目だそうだ。
スタティンアイランド、ブルックリン、クイーンズ、ブロンクスとマンハッタン。ニューヨーク五つの行政区をまたがって走る。
晩秋の時期、しっかり大きな祭りイベントになった。世界から5万人参加という。日本からもランナー参加者ツアーがある。
警察、救急介護隊、水・バナナを配るボランティア、チャリティー活動、トイレボックス設置、無料のメトロ地下鉄・バス、到着地のセントラルパーク、マスコミなど市と市民をあげて支える。
毎年同僚が走るというので、アパート近くの道端に出て応援する。
翌日のニューヨークタイムス紙。全ての完走者名が順位と時間順に数ページにわたって掲載される。
紙面にオフィスで同僚の名前を見つけて、しばらく話題で盛り上がる。記念にと新聞を日本に持ち帰ったはずだが、今見つからない。
ニューヨークタイムスは全国紙だが、地方紙としての面も残っている。市民の活動を丁寧にフォローする記者の野生味ある逞しさを感じた。
翻えって、日本ではどうだろう。東京マラソンで朝日新聞では完走者リストアップはない。地元紙?の東京時間は掲載しているのか知らない。
一方、今朝の朝日新聞では、文の日秋の叙勲の氏名4179人が肩書き付きで掲載されている。内閣府賞勲局の前例踏襲の気楽な仕事だ。
未だに人を等級付けしていることに驚く。官尊民卑。政治家と役人上がりのお手盛りが甚だしいと感じる。担当もいずれは自分もあずかりたいとOBに恩を売っているのだろう。さもしい役人根性だ。さしたる疑問を抱かずに掲載する。
マスコミがお上の片棒を担いでいる構図は、性被害を長年見過ごしてきた姿勢と重なってみえる。惰性の仕事はそこらに転がっている。