松村呉春筆紙本淡彩「荒夷」画賛草稿大幅
徒然草第百四十二段の冒頭部
「こヽろなしと見ゆる者もよきひと言ハひふもの也。あるあらゑびすのおそろしげなるが、かたへにあり(ひ)て御子ハおハすやととひしに、ひとりももち侍らずとこたへしかバさてハ物のあハれはしりたまハじ。情なき御こヽろにぞものしたまふらむ(給ふらんと)と、いとをそろし。児ゆへにこそ萬のあハれはおもひ知らるれといひたりし。さも有ぬべきこと也。恩愛の道ならでハかヽるものヽこヽろに慈悲ありなんや。孝養のこヽろなき者も児もちてこそ親の心ざし(志)ハ思ひしるなれ。」
月渓写併書
心なしと見ゆる―情を解しないと見える意
荒夷―当時、都の人が、片田舎の武士(おもに関東のもの)を指して呼びなした称
おそろしげなるが―おそろしそうなのが。その容貌の魁偉で、野生を帯びて見えるのをいう
かたへに―かたわらの人に
さては―それでは
ものヽあはれ―ものの情け、ものの趣
ものし―ありの敬語。おいでなさるの意
子故にこそ―子どもをかわゆく思う心からして、すべての世の中の人情、情味が思い知られるようになるとの意
さてもありぬべき事―そうあってしまうべき事、すなわち、そうあるべきはずの意を強く言ったもの
恩愛の道―親子の間の愛情にいうことば
かヽる者―そういうおそろしい荒夷の意
慈悲―あわれみ、なさけの意
孝養―孝行の意
心なしと見ゆる―情を解しないと見える意
『徒然草評釈』文学士内海弘蔵著
荒夷―当時、都の人が、片田舎の武士(おもに関東のもの)を指して呼びなした称
おそろしげなるが―おそろしそうなのが。その容貌の魁偉で、野生を帯びて見えるのをいう
かたへに―かたわらの人に
さては―それでは
ものヽあはれ―ものの情け、ものの趣
ものし―ありの敬語。おいでなさるの意
子故にこそ―子どもをかわゆく思う心からして、すべての世の中の人情、情味が思い知られるようになるとの意
さてもありぬべき事―そうあってしまうべき事、すなわち、そうあるべきはずの意を強く言ったもの
恩愛の道―親子の間の愛情にいうことば
かヽる者―そういうおそろしい荒夷の意
慈悲―あわれみ、なさけの意
孝養―孝行の意
子ども故にこそ、すべてのものごとの情味はわかるようになるものだという、あらえびすの言葉によって、子どもの愛を説いた。
朱と墨の二種類の書き込みがある草稿である。書き込みは、宛てる漢字や変体仮名の種類に関するもの、朱で誤りや書き損じを訂正するもの、正確に字を書き直した場合など、三種類の内容の書き込みがある。その他、余白に、「慈悲」「心」「恩愛」「恩」と漢字を書き改めており、いずれも月渓筆である。
画は、「荒夷」と「その児」とを描いたものと思われる。
筆跡、画いずれも月渓時代のものと考えてよい。上段の文章が草稿の状態であるのに対して、下段の人物画はしっかり書かれていて、その対比がおもしろい。師の蕪村同様に、呉春も『徒然草』を相当読み込んでいることが知られる。
江戸中期の画家。尾張の人。月渓と号した。