松尾芭蕉伝来「芭蕉遺愛荷葉硯」
硯蓋表書き
芭蕉遺愛荷葉硯 獅子眠
中箱蓋裏書き
祖翁より祇空・楼川・鶏口と四世机上有之蓮葉の硯先師の言置れしまヽに獅峯えながく伝はることをこヽにしるすもの
神田居如圭
硯蓋裏書き
芭蕉翁のかヽりし時より、机上に用をなし給へるふるき硯の、寿ながくして茲につたハれり。此うちよりいかなる花や咲けむ、いかなる月や出けんとなつかし。さくら見せうとありしよし野の其柏木をもて蓋となして俤を見む種とし、朝なゆふなのたよりとせんハ、此ミちの恩をわするまじき一筋なりと、いさヽかかいつけてしるし置く事しかり
天明乙巳のとし 獅子眠鶏口
硯は横23センチほどもあり大きい。深川の庵などで机に置いて使用されたものだろう。旅の移動には不向きな大きな硯である。
二重箱入り。箱表に、「芭蕉翁伝来荷葉硯」とある。硯蓋裏にある「天明乙巳」は、天明5年(1785)。
二重箱のそれぞれの表裏に由来記が記載されている。荷葉とは、蓮の葉のこと。これば、この硯は、芭蕉生前から大切に扱われ、祇空・楼川・鶏口など江戸座の俳人たちに連綿と引き継がれていったことがわかる。珍品中の珍品。
硯裏の左下に、「松尾藤七」と刀で細く刻まれている。ちなみに、芭蕉の通称は、松尾甚七郎。「藤七」との関係は不明である。
大阪の人。はじめ惟中門、のち其角門。元禄7年畦止亭における歌仙興行で芭蕉と同座。江戸の隅田川畔庵崎に有無庵を結ぶ。漂白と庵住の境涯を送る。
号、無事庵。妻の田女、養子の鶏口と江戸神田柳原土手下に住む。祇空門。
号、獅子眠。楼川・田女夫妻の養子。江戸神田柳原土手に養父母と同居。三人とも存義側の点者。
馬場氏。初号、泰里。別号、李井庵、古来庵、有無庵。明和5年以降、存義側と呼ばれる自らの座側を率いる存在となり、江戸座の代表的宗匠として活躍した。門人に抱一らがおり、蕪村ら巴人門人との交流も知られる。