「坊ちゃん」のターナー島の松

筑波山の見えるこの牛久沼の小島の松の画を見ると、国木田独歩の「忘れえぬ人々」にある瀬戸内海の美しい描写を思い出す。
春の日の閑(のど)かな光が油のような海面に融け殆んど漣(さざなみ)も立たぬ中を船の船首(へさき)が心地よい音をさせて水を切て進行するにつれて、霞たなびく島々を迎えては送り、右舷左舷の景色を眺めていた。菜の花と麦の青葉とで錦を敷いたような島々がまるで霞の奥に浮いているように見える。
そして、漱石『坊ちゃん』の瀬戸内海の釣りの場面。坊ちゃんは赤シャツ(教頭)に誘われて、吉川(野だいこ 画学の教師)と連れ立ち、船頭の漕ぐ小船で釣りに出かけた。小気味のいい文章のなかに、絶景の絶景のターナー島の松が出てくる。
船頭はゆっくりゆっくり漕いでいるが熟練は恐ろしいもので、見返ると、浜が小さく見えるくらいもう出ている。高柏寺の五重の塔が森の上へ抜け出して針のように尖がってる。向こう側を見ると青嶋が浮いている。これは人の住まない島だそうだ。よく見ると石と松ばかりだ。なるほど石と松ばかりじゃ住めっこない。赤シャツは、しきりに眺望していい景色だと云ってる。野だは絶景でげすと云ってる。絶景だか何だか知らなが、いい心持ちには相違ない。ひろびろとした海の上で、潮風に吹かれるのは薬だと思った。いやに腹が減る。
「あの松を見給え、幹がまっすぐで、上が傘のように開いてターナーの画にありそうだね」と赤シャツが野だに云うと、野だは「まったくターナーですね。どうもあの曲り具合ったらありませんね。ターナーそっくりですよ」と心得顔である。
きっと蕪村も牛久沼に船を出して釣りを楽しんだのではないか。
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ターナーとは何のことだか知らないが、聞かないでも困らないことだから黙っていた。舟は島を右に見てぐるりと廻った。波はまったくない。これで海だとは受け取りにくいほど平らだ。赤シャツのおかげで甚だ愉快だ。
すると野だがどうです教頭、これからあの島をターナー島と名づけようじゃありませんかと余計な発議をした。赤シャツはそいつは面白い、吾々はこれからそう云おうと賛成した。この吾々のうちにおれもはいってるなら迷惑だ。おれには青嶋でたくさんだ。
あの岩の上に、どうです、ラファエルのマドンナを置いちゃ。いい画が出来ますぜと野だが云うと、マドンナの話はよそうじゃないかホホホホと赤シャツが気味の悪い笑い方をした。なに誰もいないから大丈夫ですと、ちょっとおれの方を見たが、わざと顔をそむけてにやにやと笑った。おれは何だかやな心持ちがした。
マドンナだろうが、小旦那だろうが、おれの関係したことでないから、勝手に立たせるがよかろうが、人に分らないことを言って分らないから聞いたって構やしませんてえような風をする。下品な仕草だ。
これで当人は私も江戸っ子でげすなどと云ってる。マドンナと云うのは何でも赤シャツの馴染の芸者の渾名か何かに違いないと思った。なじみの芸者を無人島の松の木の下に立たして眠めていれば世話はない。それを野だが油絵にでもかいて展覧会へ出したらよかろう。

