作品・本・人物紹介

陶淵明「帰去来の辞」第三段

冨田鋼一郎

歸去來兮(かへりなんいざ)
交りを息(や)め 以て遊びを絶たんことを請ふ
世と我と以て相ひ遺(わす)れ
復た駕して言(ここ)に焉(なに)をか求めん
親戚の情話を悅び,
琴書を樂しみ以て憂ひを消す
農人余に告ぐるに春の及べるを以てし
將に西疇(せいちう)に於いて 事有らんとす
或は巾車(きんしゃ)に命じ
或は孤舟に棹さす
既に窈窕(えいてう)として以て壑(たに)を尋ね
亦た崎嶇(きく)として丘を經(ふ)
木は欣欣(きんきん)として以て榮に向かひ
泉は涓涓(けんけん)として始めて流る
萬物の時を得たるを羨む
吾が生の行くゆく休するを感ず

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現代訳)
さあ家に帰ろう。そうして帰ったうえは、どうか交わりをやめ、世人との遊びを絶ちたい。

世間と私とは双方からたがいに忘れ合おう。ふたたび車に乗って何を求めに行こうか。今は何の望みもない。

親戚の情のこもった話を悦び、琴や書物を楽しんで憂いを消すのである。農夫は私に、もう春になったことを告げる。これから西の田に仕事が忙しくなろうとしているのだ。

あるときは巾(きぬ)をかけて飾った車に命じ、あるときは一般の舟に棹をさし、うねうねとした深い谷川の奥をたずね、また高低のはげしい山路を通って丘を超えて行き、山水の美景をたのしむ。

木々はよろこばしげに、枝葉がしげり花咲こうとしており、泉は滴りながら、はじめて氷がとけて流れ出ている。

こんな春のいぶきを見て、万物がよい時節を得て、幸福そうな様子を、私は喜ぶのであるが、またそれに比べて私の生命がだんだんと終わりになるのを思って心が動くのである。春が来て春が逝く、こうして人生は過ぎて行くのである。

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ABOUT ME
冨田鋼一郎
冨田鋼一郎
文芸・文化・教育研究家
日本の金融機関勤務後、10年間「学ぶこと、働くこと、生きること」についての講義で大学の教壇に立つ。

各地で「社会と自分」に関するテーマやライフワークの「夏目漱石」「俳諧」「渡辺崋山」などの講演活動を行う。

著書
『偉大なる美しい誤解 漱石に学ぶ生き方のヒント』(郁朋社2018)
『蕪村と崋山 小春に遊ぶ蝶たち』(郁朋社2019)
『四明から蕪村へ』(郁朋社2021)
『論考】蕪村・月居 師弟合作「紫陽花図」について』(Kindle)
『花影東に〜蕪村絵画「渡月橋図」の謎に迫る』(Kindle)
『真の大丈夫 私にとっての漱石さん』(Kindle)
『渡辺崋山 淡彩紀行『目黒詣』』(Kindle)
『夢ハ何々(なぞなぞ)』(Kindle)
『新説 「蕪」とはなにか』(Kindle)
『漱石さんの見る21世紀』(Kindle)
『徹底鑑賞『吾輩は猫である』』(Kindle)
『漱石さんにみる良い師、良い友とは』(Kindle)
『漱石さん詞華集(アンソロジー)』(Kindle)
『曳馬野(ひくまの)の萩』(Kindle)
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