蕪村の特徴ある人物顔表現(その2)
冨田鋼一郎
有秋小春

歸去來兮(かへりなんいざ)
交りを息(や)め 以て遊びを絶たんことを請ふ
世と我と以て相ひ遺(わす)れ
復た駕して言(ここ)に焉(なに)をか求めん
親戚の情話を悅び,
琴書を樂しみ以て憂ひを消す
農人余に告ぐるに春の及べるを以てし
將に西疇(せいちう)に於いて 事有らんとす
或は巾車(きんしゃ)に命じ
或は孤舟に棹さす
既に窈窕(えいてう)として以て壑(たに)を尋ね
亦た崎嶇(きく)として丘を經(ふ)
木は欣欣(きんきん)として以て榮に向かひ
泉は涓涓(けんけん)として始めて流る
萬物の時を得たるを羨む
吾が生の行くゆく休するを感ず
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現代訳)
さあ家に帰ろう。そうして帰ったうえは、どうか交わりをやめ、世人との遊びを絶ちたい。
世間と私とは双方からたがいに忘れ合おう。ふたたび車に乗って何を求めに行こうか。今は何の望みもない。
親戚の情のこもった話を悦び、琴や書物を楽しんで憂いを消すのである。農夫は私に、もう春になったことを告げる。これから西の田に仕事が忙しくなろうとしているのだ。
あるときは巾(きぬ)をかけて飾った車に命じ、あるときは一般の舟に棹をさし、うねうねとした深い谷川の奥をたずね、また高低のはげしい山路を通って丘を超えて行き、山水の美景をたのしむ。
木々はよろこばしげに、枝葉がしげり花咲こうとしており、泉は滴りながら、はじめて氷がとけて流れ出ている。
こんな春のいぶきを見て、万物がよい時節を得て、幸福そうな様子を、私は喜ぶのであるが、またそれに比べて私の生命がだんだんと終わりになるのを思って心が動くのである。春が来て春が逝く、こうして人生は過ぎて行くのである。