遺歌文集『曳馬野の萩』
冨田鋼一郎
有秋小春
芭蕉47歳、「おくのほそ道」の旅を終えた翌年、元禄3年(1690)、旧暦4月~7月までの4か月を国分山の幻住庵に暮らし「幻住庵記」を書く。
俳文「幻住庵記」は、「猿蓑」所収、
芭蕉生前に公表した唯一の文章
庵の所在と由来
入庵の経緯
庵の眺望
庵の調度と日常生活
境涯の回想と現在の心境
最後に、芭蕉の生涯と生活からにじみ出た人生観を率直に語りかける
幻住庵記を入れた『猿蓑』の刊行が「おくのほそ道」のさらなる推敲を促したといえる
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つらつら年月の移り来し拙き身の科(とが)を思ふに、ある時は仕官懸命の地をうらやみ、一たびは佛離祖室の扉(とばそ)に入らむとせしも、たどりなき風雲に身をせめ、花鳥に情を労じて、しばらく生涯のはかりごととさへなれば、つひに無能無才にしてこの一筋につながる。、、(中略) いづれか幻の栖(すみか)ならずやと、思ひ捨ててふしぬ。
先づたのむ椎の木も有夏木立
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「この一筋」「此道」とは、俳諧一筋の道
○此道や行人なしに秋の暮 芭蕉
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○門を出れば我も行人秋の暮 蕪村
詩人としての孤独を自覚する人たちが時を越えてつながり合おうとする
「連衆」 句会で席を同じくする人々
「真の連衆心」
場だけでなく、時空を超えて心を同じくしようとする