フェルメール番組 Close to Vermer
冨田鋼一郎
有秋小春
西洋と東洋では、人間存在の根源を問う哲学はまるで違って対極にある。
西洋では「己を忘れるな」。
東洋では「己を忘れろ」。
西洋では古代ギリシャの昔から、何より最初に「私」がある。「私」こそが光であり、対象に光を当てて対象を捉えようとする。今日まで’私が在るとは何か’にこだわり続けている。
東洋では、自分を虚しくして対象物の陰となったとき、対象と一体化し「真の自分」に達することができると考える。「私意」を離れて、「私」の持つ執着から逃れて「無」に同化する事で、逆に「真の自分」を発見しようとする。
「己(おのれ)は何者か」。人は決して自分の顔を見ることができない。いつの時代も東西を問わず、何とかして自分の目に代わる方法を探ってきたのだ。
[バラ]
[カボチャ]