動物言語学者の鈴木俊貴氏の講演
冨田鋼一郎
有秋小春
これから生きていく人たちは大変だ。どのような資質の人となるかが根源的に問われるようになる。教育の役割がますます大事になる。
学生時代の友人で同期ネットワークを通して週刊誌ゴシップを流す人がいる。せめて自分の意見を添えてもらえたらうれしい。
今は情報(フェイクも)が溢れかえっている時代だから、二番煎じの情報は無用だ。
同じことは、教師ついてもいえるだろう。
変化の激しいこれからの社会、教師の役割は、子供たちに情報・知識を詰め込むことではない。
記憶力を問う試験は時代遅れ。既存の知識を横流しして済んでいた我々が学んだ時代とは全然違う。
子供たちが活躍する10年後からの50年間はこれまでの社会の延長ではない。
絶え間のない変化に対応して新しいことを学びつづけて、馴染みのない状況でも「心の安定を保てる人」を育てるにはどうしたらいいか。
人生で「何度も学び直し」して「自己改造」しなくてはならない。
・学生(生徒は)すでに多くの情報を持っている
・さらに情報を与えるのは無用なこと、
という前提で、
教師の新たな役割は、
・情報の意味を理解させること
・情報の真偽を見分ける力を養うこと
・大量の断片情報を結び付けて幅広く捉える能力を養うこと
・ストレスに耐えるタフネスさを養うこと
つまり、教師の役割は、「精神的なしなやかさと情緒的なバランスを保てる人材」を育てることではないか。
少なくとも教師がその良き手本になっていることが期待される。
そのような人は、「自分はいったい何者か?」を問い続ける能力を身につけているだろう。
「教師冥利」。教師たちに新たに求められる、チャレンジングで崇高な使命に想いを馳せる。