日々思うこと

宝物「講義感想文」大型ファイル

冨田鋼一郎

ここに大型ファイルがある。久しぶりにページをめくってみた。これが10年の教師生活の結晶。3000余名が目の前を通り過ぎた。

担当していた講座名は「自己実現とキャリアデザイン」。大学1年生向けの全学部必須の基礎教養講座だ。

卒業後自分がどのような進路を選ぶのか4年間かけてしっかり考えさせるのが狙い。

流行りのキャリアの授業(履歴書の書き方や面接の受け方など就活に関すること)のような小手先のことを教えるのではなく、もっと根本的な「働くこと、学ぶこと、生きること」についてしっかり考えてもらう授業にした。

毎回の授業後のリアクションペーパー、3回の課題レポートと期末感想文で成績評価する。

ここに期末感想文をいくつか紹介しておく。
☆☆☆☆

⭕️先生はいつも私たちに問いかけますが、問いのすべてが考えさせられます。
その答えを自分で出せたときに成長するのだと思います。私は、先生が何でこんな事を言えるのか不思議です。先生には何か力があるのかなあ、なんて思います。

⭕️この授業で、自分を知り、何をしたいと思っているのかを知りたかった。自分を知るということは、性格や考え方のくせを知ることだと思っていた。

しかし、この授業では、社会の仕組みや、個人と社会のかかわりなど個人のことだけでなく、社会人になるために、社会とは何かを知ることでもあったのではないかと思う。そのために、自分のノートを作って考え、勉強する習慣が大切だといっているのではないかと思う。

さらに他者とディスカッションすることで、理解を深めていけたと思う。数ヶ月かけて太平洋の真ん中へ連れてきた、と先生は言った。ここから自分の信じる岸へ泳いでいくようにとおっしゃったが、私の感覚としては、先生の船で世界を一周して戻ってきた感じがする。

立っている場所は同じなのに、何か見え方が違い、違うところにいるように感じる。この授業で学び、考えてきたことが私のフィルターの色を変えた、そんな気がする。同じ場所で前の私と違う私。だからこそ、前まで分からなかった、考えつかなかったことに気づけるのではないかと思う。これからの生活にどんな気づきがあるのか楽しみだ。

⭕️先生は「自分で精いっぱい考えること」を学んで欲しかったのだと思います。最初は、先生が私のことを教えてくれるのではないかと考えていました。

でも授業の内容は、考えていたものと全く違っていました。他人とディスカッションし、自分に関係があるかもわからないビデオを観て、社会の構造を学び、なぜこの授業が「自己実現とキャリアデザイン」なのかと疑問に思いました。

そこで、私は今、授業と自分の関わりについてとても考えていることに気づきました。課題も自分のことについて考えて書くものだったし、ディスカッションも自分と他者の考えを話し合ったりしました。だんだんと自分のまわりを考えることから、自分を考えることが始まるんだとわかりました。そういうことを先生は、はっきりは云いませんでしたが、きっとそうなんだと思います。

⭕️授業最後に感想文を書くことを知ったときから、私はその内容を決めていた。「高校や大学での学習のみが勉強ではない。それは勉強を身につけるという訓練だ。人生とは一生勉強することなのです」。なんてありふれた言葉なのだろうか。正論でありながらも、なんとも陳腐だと思う。

はじめて聞いたのは本の中だった。テレビのバラエティーでタレントが言い、説教する大人たちがそうやって怒鳴っていた。幾度も使いまわされた言葉だ。だから私はいつものように、冨田先生の言ったこの言葉に対して何も感じなかった。それは、講義を履修してまだ間もない頃のことだ。

先生は、自分の経歴を話し、世界の現状を教え、たくさんの本を紹介した。私たちは耳を傾け、隣の学生と言葉を交わし、ノートを見返す。そうして講義を重ねるうちに、あるとき、あの言葉が私の中で深みを増していることに気づいたのだ。「人生は一生勉強」。それは先生の人生において獲得した重要部を抜粋したかのように響いた。簡潔であり、しかし重みのある言葉だった。

そのとき、私の席から見える先生の横顔は、静かでいつもと変わらなかった。その光景が日に日に明瞭になっていくのである。「心に響く」というのは、冷たい風が吹き抜けていくように痛感することでもあるが、このようにじっくり重みを増して大切な言葉になることもあることを知った。

今まで何も感じなかった言葉を、こんなにも真面目に受け取ったのはなぜだろう。それは「人生とは一生勉強」と語る本人が、それを全うしているのだと感じられたからだ。

本の文章は、大変分かりやすく丁寧に語られるが、印刷された言葉に熱はなく、テレビタレントも教える大人も、勉強しようとする姿勢が感じられなかった。そういうものは人間性の厚みとなって染み出るものではないか。その証拠に、講義の折り返し地点を辿るころから、私の中で明瞭となった。

「人生は一生勉強」と語る大人が、それを実際に実行する誠実さを、はじめて先生の人柄から学んだのだ。このことは大学生活においてとても大切なことであり、この講義により得られたものに、私はとても満足しています。

⭕️先生はこの講座で私たちにいったい何を伝えたかったのだろう。

私は、先生が発した言葉全てが伝えたかったことではないか思います。先生は毎回、しっかり耳を傾けて聞いてね、しっかりノートに書き記してねと言っていました。聞き逃してほしくはない伝えたいことが、ぎっしり詰まった90分間だからです。先生はきっと私たちに伝えるには、その90分間を貴重な短い時間だと感じているのではないでしょうか。もしかすると先生はまだ伝えたいことがあるかもしれません。伝える必要がないことに貴重な90分を使わないはずです。

しかし、期末振り返りにあたって、あえてこの問いを与えたからには本当に伝えたいものがあるのだと思います。自分が書き残したノート、自分が書いた感想文、小論文の材料になるテーマの箇条書き、ありとあらゆるものを読み返しました。すると、見返していくうちに気づいたことがあります。

何度も同じ言葉が出てくるのです。それは、「自分」という言葉です。よく考えてみれば、どんな授業でも、どんなテーマでも必ず「自分」が絡んでいました。時には、自分の能力、性格を分析し、時には、世界、社会、時代、他者といった広い視野で自分と照らし合わせました。なぜここまで「自分」という言葉が出てくるのだろうか。

そして、毎回書いていた自分が中心にあるあの大きな円の図は何だったのだろうか。その答えは意外にも、第一回目の授業に書き残したノートにありました。

この講義の原点でもある講義名、「自己実現」という言葉です。その後に、「自己実現とは、自分の中に潜む可能性を自分で見つけ、十分に発揮するということ」と書いてあります。自分の中に潜む可能性を自分で見つけ、十分に発揮してほしい。これだ、先生が伝えたかったことは、まさにこれではないかと感じました。

だからこそ、まずは自分の中に潜む可能性を自分自身で気づくために、どんな授業もどんなテーマも「自分」が必要だったのです。また、翌週に返していただいた自分の感想文には先生の赤線が引いてあります。これは、授業を通して自分の中に潜む可能性に、自分自身で一歩近づくことができた先生の評価であるとも感じました。

「人生とは、学ぶ喜びを知り、働く喜びを知り、自分が変わること、成長することだ」と先生から教わりました。成長するには自分が変わらなければいけない。自分が変わるには働き、学ばなければいけない。働き、学ぶには、自分の可能性を見つけなければいけない。自分を知らなければ何も始まらないが、少し知ることができたなら自分の可能性を発揮できるチャンスをつかめます。全15回という授業を通して、先生からそのことを教わったような気がします。ありがとうございました。

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ABOUT ME
冨田鋼一郎
冨田鋼一郎
文芸・文化・教育研究家
日本の金融機関勤務後、10年間「学ぶこと、働くこと、生きること」についての講義で大学の教壇に立つ。

各地で「社会と自分」に関するテーマやライフワークの「夏目漱石」「俳諧」「渡辺崋山」などの講演活動を行う。

著書
『偉大なる美しい誤解 漱石に学ぶ生き方のヒント』(郁朋社2018)
『蕪村と崋山 小春に遊ぶ蝶たち』(郁朋社2019)
『四明から蕪村へ』(郁朋社2021)
『論考】蕪村・月居 師弟合作「紫陽花図」について』(Kindle)
『花影東に〜蕪村絵画「渡月橋図」の謎に迫る』(Kindle)
『真の大丈夫 私にとっての漱石さん』(Kindle)
『渡辺崋山 淡彩紀行『目黒詣』』(Kindle)
『夢ハ何々(なぞなぞ)』(Kindle)
『新説 「蕪」とはなにか』(Kindle)
『漱石さんの見る21世紀』(Kindle)
『徹底鑑賞『吾輩は猫である』』(Kindle)
『漱石さんにみる良い師、良い友とは』(Kindle)
『漱石さん詞華集(アンソロジー)』(Kindle)
『曳馬野(ひくまの)の萩』(Kindle)
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