イギリス政府、チャゴス諸島の領有権をモーリシャスに移譲 2024.10.4BBC
イギリスの海外領有権の一つ、インド洋中央に位置するチャゴス諸島に大きな動きがあった
日本ではほとんどニュースにならなかったが、BBC記事を読めば、多くの関係者が複雑に絡んでいることがわかる
なお、11月のモーリシャス国営放送によると、10日に行われた議会選では野党連合が圧勝し、62議席中60議席を獲得。2017年から政権を担った与党連合のジャグナット首相は退任した
モーリシャスの政権交代でチャゴス諸島の帰属合意は影響を受けるのか
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イギリス政府は3日、インド洋の戦略的要衝、チャゴス諸島の領有権を放棄すると発表した。これにより、半世紀以上にわたるチャゴス諸島の領有が終了する。
イギリスはチャゴス諸島の領有権をモーリシャスに移譲する。これによって、両国間で数十年続き、しばしば険悪な状態にもなった交渉に終止符が打たれたかっこうだ。
移譲される中には、英米軍が基地を置くディエゴ・ガルシア島も含まれる。
両軍の基地は、引き続きディエゴ・ガルシア島に置かれる。同島の処遇は、インド洋地域において西側諸国やインド、中国の間の地政学的な対立が深まる中、この合意実現にこぎつけるための重要要素だった。
この合意は条約の最終締結を条件としているが、双方はできるだけ早く締結すると約束している。
イギリスのキア・スターマー首相とモーリシャスのプラビン・ジュグノート首相は声明で、「これは両国関係における画期的な瞬間であり、紛争の平和的解決と法の支配に対する我々の永続的なコミットメントを示すものである」だと述べた。
また、「地域と世界の安全保障において重要な役割を果たしているディエゴ・ガルシア島にある既存基地の、長期にわたる安全かつ効果的な運用を確保する」と述べた。
声明は、この条約が「過去の過ちを正し、チャゴス諸島の住民の福祉を支援するという両国の決意を示す」ものだと説明している。
イギリスのデイヴィッド・ラミー外相は、「不法移民ルートになり得る」経路を封じることも、この合意の利点だと述べた。
ディエゴ・ガルシア島には2021年、迫害から逃れたスリランカのタミル人数十人が到着。現在、フェンスに囲まれた島内のキャンプに、不法移民として収容されている。
現在、この不法移民らの先行きをめぐって複雑な法的な争いが繰り広げられている。
今回の発表が、彼らにとって何を意味するのかは不明だ。
合意では、イギリスはモーリシャスに対し、年間支払いおよびインフラ投資を含む一連の財政支援を提供することが決まった。
一方、モーリシャスはチャゴス諸島に対する再定住プログラムを開始できるが、ディエゴ・ガルシア島は対象から外れている。
同島でイギリスは、99年間の「当初期間」の間、軍事基地の運営を保証されている。
アメリカのジョー・バイデン大統領は「歴史的な合意」を歓迎し、これは「外交と連携を通じて、各国が長年の歴史的課題を克服し、平和で相互に有益な成果を達成できると、明確に示すものだ」と述べた。
バイデン大統領はまた、この合意で「国家、地域、そして世界の安全保障において重要な役割を果たしている」主要軍事基地の未来が確保されたと述べた。
チャゴス諸島の住民は、一部はモーリシャスやセーシェルに、また一部は英サセックス州クロウリーなどに住んでいるが、故郷の運命について意見は一致していない。
孤立した島々に戻って生活すると決意している人もいれば、イギリス国内での権利や地位を重視する人もいる。また、チャゴス諸島の地位は外部の人間が決めるべきではないと主張する者もいる。
イザベル・シャーロットさんはBBCのラジオ番組で、この合意によって、父方の「ルーツ」である島に家族が戻れるかもしれないと、希望が再び湧いてきたと話した。
モーリシャス政府が再定住の手配をする計画は、「私たちが故郷と呼べる場所、つまり私たちが自由になれる場所」を意味すると、シャーロットさんは述べた。
一方、イギリスに住むチャゴス諸島系2世のフランキー・ボンテンプスさんはBBCの取材に対し、「チャゴス諸島民は交渉に関与したことがまったくない」ため、このニュースに「裏切られた」と感じ、「怒り」を覚えたと話した。
「私たちは依然として、自分たちの将来を決める上で、無力で声なき存在だ」とボンテンプスさんは話し、条約の起草にチャゴス諸島民を完全に含めるよう求めた。
イギリスは近年、現在はチャゴス諸島のみとなっていたイギリス領インド洋地域(BIOT)に関する領有権をめぐり、外交的に孤立を深めていた。
国際司法裁判所(ICJ)や総会を含むさまざまな国連機関の圧倒的多数がモーリシャスに味方し、一部で「アフリカ最後の植民地」と呼ばれていたチャゴス諸島を明け渡すよう、イギリスに要求していた。
チャゴス諸島は元々、イギリス領だったモーリシャスの一部だった。イギリスは1965年にチャゴス諸島をモーリシャスから分離し、BIOTの一部とした。
一方モーリシャス政府は長年、1968年にイギリスから独立した際、独立と引き換えにチャゴス諸島を手放すことを不法に強いられたと主張してきた。
当時、イギリスはすでにアメリカと極秘の交渉を行い、最大の環礁のディエゴ・ガルシア島を軍事基地として使用し、アメリカに貸与することに合意していた。
イギリスはその後、ディエゴ・ガルシア島から1000人以上の島民を強制退去させたことについて謝罪。戦略目的のため必要でなくなった時点で、モーリシャスにディエゴ・ガルシア島を移譲すると約束した。
しかし、つい最近までイギリスは、モーリシャス自体にはチャゴス諸島に対する正当な領有権はないと主張していた。
国際世論が徐々に味方に
何十年もの間、この小さな島国モーリシャスは、この問題について国際的な支援を得ようと苦闘してきた。
1960年代後半から1970年代前半にかけて、故郷を追われたチャゴス諸島の住民の一部が、何度もイギリス政府を相手取って裁判を起こした。
しかし、国際世論が変化し始めたのはごく最近のことだ。アフリカ諸国がこの問題について統一見解を示すようになり、脱植民地化の問題についてイギリスに強く迫るようになった。
その後、ブレグジット(イギリスの欧州連動離脱)を受け、多くの欧州諸国が、国際会議の場でイギリスを支持し続けることに消極的になった。
そこでモーリシャス政府は反撃に転じ、イギリス政府に口頭による脅迫を受けたと非難した。また、国連やさまざまな法廷、メディアを通じて洗練されたキャンペーンを展開し始めた。さらには、イギリスの許可なくチャゴス諸島に上陸し、国旗を立てた。
今回の合意に至った交渉は、イギリスの前保守党政権下で開始された。
しかし、この画期的な進展のタイミングは、国際情勢における緊急性の高まりを反映している。
特にウクライナでの戦争に関してイギリスは、チャゴス諸島問題がアフリカ諸国の追加支援獲得の妨げになることを排除したいと考えている。これには、ウクライナ支援に消極的なドナルド・トランプ前米大統領の再選の可能性も関係している。
また、保守党と労働党の歴代首相が同じ大まかな目標に向かって取り組んできたにもかかわらず、イギリス国内から反発の声が上がることも予想される。
保守党党首候補のトム・トゥーゲンダット氏は、この合意は「イギリスの利益に反して交渉された」もので、このような協議が前保守党政権下で開始されたことは「不名誉なこと」だと主張した。
トゥーゲンダット氏はまた、この合意を「同盟国を無防備な状態に置く恥ずべき後退」だと呼んだ。一方、ジェイムズ・クレヴァリー前外相は、この合意は「弱い」と述べた。
人権擁護団体ヒューマン・ライツ・ウオッチ(HRW)は合意について、「チャゴス諸島民に対する過去の不正を是正するものだが、将来にわたって犯罪を継続させるものになりそうだ」と述べた。
HRW上級法律顧問のクライブ・ボールドウィン氏は声明で、チャゴス諸島の住民と有意義な形で協議しなければ、イギリスやアメリカ、そしてモーリシャスは、「現在も継続中の植民地犯罪」の責任を負うことになるだろうと述べた。
それでもなお、今回の合意の歴史的な意義に、疑念の余地はない。
イギリスがほぼ全世界に広がっていた帝国の支配権を放棄してから半世紀以上がたった今、ついに最後の一つを手放すことに同意した。おそらくは不本意だろうが、しかし平和的かつ合法的に行われた。
現在残るイギリスの海外領土は以下の通り。
アンギラ、バミューダ、英領南極地域、英領ヴァージン諸島、ケイマン諸島、フォークランド諸島、ジブラルタル、モンセラト、ピトケアン諸島、セントヘレナ・アセンションおよびトリスタンダクーニャ、サウスジョージア・サウスサンドウィッチ諸島、タークス・カイコス諸島。
またキプロスには、イギリス主権基地領域アクロティリおよびデケリアがある。
チャゴス諸島に関する発表を受け、フォークランド諸島の総督は、フォークランド諸島はイギリスに委ねられており安全だと述べた。
アリソン・ブレイク総督は、「(フォークランド諸島での)イギリス主権を守るというイギリスの揺るぎない決意は、まったく不変だ」と、ソーシャルメディアに投稿した。