読書逍遥第244回 『西洋人の神道観』2024増補改訂 平川祐弘著
冨田鋼一郎
有秋小春
地図を歴史と融合させると、奥行きの深い理解ができる
[今回のテーマ 利根川東遷]
なぜ家康は、利根川を東に曲げたか
家康の深謀遠慮
関東平野と坂東太郎(利根川)の関係
家康の都市計画は壮大である
家康は生涯1000回以上の鷹狩りをした 実は遊びを装った各地の立地調査だった
利根川東遷の理由
江戸と南関東を利根川の洪水から守り、肥沃で広大な農地を確保する
利根川の水を味方にして、仮想敵である北の伊達政宗の侵攻を防ぐ
天然の要塞だった関東平野
6千年前の縄文前期は海面は今より5m高かった 海だった跡地に利根川や荒川が土砂を運び、アシ原の大湿地を形成
湿地帯は防衛上有利となり、天然の要塞だった
関東は三本の川と湿地で守られている
・秩父山地から荒川
・浅間・三国・赤倉から利根川
・足尾から渡良瀬川
北関東と房総をつなぐ橋が唯一掛かっていたのが関宿(せきやど)
中世以降、京の都からすると房総半島は東日本の重要戦略拠点
黒潮と親潮のぶつかる房総南部は船の航行の難所 江戸湾の制海権を掌握するには、関宿を南下して上総を占拠する
家康は関宿が弱点だと理解した
唯一の鬼門は関宿(せきやど)
江戸城建設からさらに、
・「小名木川と新川の堀割」
黒潮と親潮の波を避ける
・「御成街道」で船橋から東金まで直線でつなぐ軍用道路で上総を防衛する