読書逍遥第257回『図書館には人がいないほうがいい』(その3) 内田樹著
冨田鋼一郎
有秋小春
[今回のテーマ]
貧しい横浜村が、なぜ近代に日本の表玄関になれたか
答えは、「横浜水道」の敷設
横浜の都市として発展する上の弱点は「水」
1853 ペリー黒船浦賀来航
1854 ペリー再来日 日米和親条約
1856 ハリス来日 通商交渉開始
1858 日米修好通商条約
以降、安政の大獄、桜田門の変、長州征伐、大政奉還、鳥羽伏見の戦い、西南戦争、大日本帝国憲法発布と続く
国際港として5港が決まる
横浜、長崎、函館、新潟、神戸
「新潟」は、以前から北前船航路の重要港 しかし、信濃川河口のため土砂堆積による浅い水深が欠点 蒸気船に不向き
他の4港の共通点「大きな川がない」こと、土砂で港が埋まらないので水深が深い
[横浜固有の課題]
水の確保 背後の湧水に頼るしかない
水道インフラ敷設が課題に
イギリス将校ヘンリー・スペンサー・パーマーに計画立案委嘱
「44キロ離れた相模川支流道志川から野毛山まで導水計画」
1887「横浜水道」工事完成
日本最初の近代水道⇨横浜開港から28年後の完成
この間の28年間はどうしていたか
「ニヶ領用水」
川崎領と稲毛領の領内
1873 多摩川を水源とし木樋水道敷設
しかし漏水、故障、コレラ発生
横浜は独自の良質な水確保が切実な課題
「箱根芦ノ湖」の活用は?
江戸(将軍)と静岡(駿府)に挟まれた神奈川
芦ノ湖の取水口は静岡に向けられ、神奈川は取り残される
⇨多摩川と芦ノ湖を諦めて、水源を相模川に求めた結果が「横浜水道」として実現
相模川ダム 城山ダム 三保ダム(酒匂川) 宮野瀬ダム