読書逍遥第394回『コンスタンチノープルの陥落』塩野七生著
冨田鋼一郎
有秋小春
今回のテーマ
“日本人の平均寿命をV字回復させたのは誰か”
「水道インフラ」に着目
大正10(1921)水道の塩素殺菌開始が、乳児死亡率の劇的改善に貢献
後藤新平(1857-1929)が立役者
・コッホ研究所細菌学を学び、医学博士
・大正7(1918)シベリア出兵液体塩素開発
当時外務大臣
・水の殺菌に塩素が有効であることを理解
・毒ガスの液体塩素の民生利用
大正9(1920)東京市長
大正10(1921)水道塩素殺菌開始
大正12(1923)関東大地震
☆☆☆
[世界の動き]
西欧における公衆衛生の観念は日本より半世紀ほど早い
1830年代 フレデリック・チューダー
ボストン中南米との氷貿易事業開始
1853 ジョン・スノウ イギリスの医師
コレラロンドン流行の原因特定に貢献
ロンドン「感染地図」作成
エリス・チェスブロウ
シカゴの汚れた水との闘い
運河と鉄道の土木工事
「清潔さ」に対する認識向上
手を洗う 身体を洗う 上下水道の分離
ロベルト・コッホ
顕微鏡と測定法開発
1876 炭疽細菌発見
1882 結核菌 その後コレラ菌発見
20世紀初、ジョン・レアル
次亜塩素酸カルシウム(塩素剤)ニュージャージー水道公社で極秘裏に使用、裁判へ
史上初の都市水道の大規模塩素消毒で乳幼児死亡率が劇的に低下
公衆衛生史上最も突飛で大胆な介入
効果が証明されて、直ちに米全土に波及
日本では約20年後、大正10年を境に乳幼児死亡率激減へ