読書逍遥第295回『中国・蜀と雲南のみち』(その6) 司馬遼太郎著
冨田鋼一郎
有秋小春
② レパントの海戦とその後
1571年5月、神聖同盟(法王主唱のヴェネツィア共和国、スペイン王国主体の対トルコ連合艦隊) 難産の末の結成
1571年10月7日、レパントの港を出てパトラス湾の戦場、両軍合わせて五百隻の船の十七万の人間が正面から衝突
海軍史上、ガレー船同士の海戦としては、最大の規模で闘われ、かつ最後の戦闘となる「レパントの海戦」
1453年のコンスタンチノープル陥落から118年、トルコ攻勢に次ぐ攻勢の前に、全力を投ずる抵抗となるとほとんど一度としてなかったキリスト教勢がはじめて獲得した真物の勝利だった
これは十字架を先頭にして闘われた最後の戦闘でもある
西ヨーロッパのほうが世界の中心になり、反対に地中海世界は歴史の主人公の座を降りることになった
ガレー船に代わって、帆船の時代への移行でもあった
1千年の歴史を誇るヴェネツィア共和国も、1453年のビザンチン帝国の滅亡によって歴史の主人公に踊り出たトルコ帝国も、レパントの海戦を機に、衰亡の一途をたどることになる
両国の力が衰えただけが、原因ではない
両国の活躍の場であった地中海の重要度が16世紀を境にして減少したからである