読書逍遥第418回『疲れすぎて眠れぬ夜のために』(その2) 内田樹著

『疲れすぎて眠れぬ夜のために』(その2) 内田樹著
「公人」と「私人」のちがいについて
「公人」だと思い浮かべることができる政治家を見つけたい
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国益とか公益とかいうことを軽々に口にできないのは、自分に反対する人、敵対する人であっても、それが同一の集団のメンバーである限り、その人たちの利益も代表しなければならない、ということが「国益」や「公益」には含まれているからです。
反対者や敵対者を含めて集団を代表するということ、それが「公人」の仕事であって、反対者や敵対者を切り捨てた「自分の支持者たちだけ」を代表する人間は「公人」ではなく、どれほど規模の大きな集団を率いていても「私人」です。
自分に反対する人間、自分と政治的立場が違う人間であっても、それが「同じ日本人である限り」、その人は同胞であるから、その権利を守りその人の利害を代表する、と言い切れる人間だけが日本の「国益」の代表者であると僕は思います。
自分の政治的見解に反対する人間の利益なんか、わしは知らんと言うような狭量な人間に「国益」を語る資格はありません。
オルテガ・イ・ガセーは「弱い敵とも共存できること」を「市民」の条件としていますが、これはとても大切なことばだと思います。
「弱い敵」ですよ。「強い敵」とは誰だって仕方なしに共存します。共存するしか打つ手がないんだから。
でも「弱い敵」はその気になれば迫害することだって、排除することだって、絶滅させることだってできる。
それをあえてしないで、共存し、その「弱い敵」の立場をも代表して、市民社会の利益について考えることのできる人間、それを「市民」と呼ぶ、とオルテガは言っているのです。
これが公の概念と言うことの正しい意味だと僕は思います
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2024.10.28 「折々のことば」
《公人は「敵とともに生きる。反対者とともに統治する」のが仕事です》 内田樹
