読書逍遥第176回 『蝸牛庵訪問記 晩年の幸田露伴』(その1)小林勇
冨田鋼一郎
有秋小春
[アッピア街道]
まだイタリア統一前のBC312年開通 およそ530キロ(東海道ほど)
建設者のアピシウスの名をとって名付けられる
ローマから南へ下って、長靴のかかとのつけ根のターラント、フリンディジまで伸びる
アッピア街道は「街道の女王」の異名を持ち、2024年ユネスコ世界遺産に登録
すでに紀元前8世紀には、ターラントをはじめ南イタリアやシチリア島にギリシャ人たちが船でたどり着き、棲みついている
まだローマの町は存在していなかった
アッピア街道では、これまでにどれだけの人々と馬車がさまざまな想いを抱いて行き来したのだろう
石畳の表面が擦れて、滑らかになっている
こんな道を歩いてみたい
アピシウスは本格的な上下水道を始め、ローマを快適な都市に変えた
ギリシャが神殿建造に熱心だったのに対して、ローマは公共施設の充実に重点を置いた
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以下、アリスティデス(紀元2世紀ギリシャの哲学者)の言葉
「かつて、ホメロスは謳った。大地はすべての人のものである、と。
ローマは、詩人のこの夢を、現実にしたのである。
あなた方ローマ人は、傘下に収めた土地のすべてを、測量し記録した。
そしてその後で、河川には橋をかけ、平地はもちろんのこと産地にさえも街道を敷設し、帝国のどの地方に住まおうと、行き来が容易になるように整備したのである。
しかもそのうえ、帝国全域の安全のための防衛体制を確立し、人種がちがおうと民族の異なろうと、共に生きていくに必要な法律を整備した。
これらのこと全てによって、あなた方ローマ人は、ローマ市民でない人々にも、秩序ある安定した社会に生きることの重要さを教えたのであった。」
[アッピア街道の石畳]