読書逍遥第401回『ローマは一日にして成らず』(その4) 塩野七生著

『ローマは一日にして成らず』(その4) 塩野七生著
古代ローマ時代は、ギリシャ(アテネ・スパルタ)との関係を無視して語ることはできない
[紀元前5世紀のペリクレスの共和政の時代]
21世紀の我々があこがれと尊敬を込めて口にする「ギリシャ文化」とは、ペリクレス(BC460-430)がアテネに与えた30年の平和を頂点とした200年足らずの間の産物である
同時代のツキジデス(BC460頃-395)がペリクレスの言葉を残してくれている
「われわれアテネの政体は、他国が手本にしたいと思う政治体制である。
小数の者によって支配されるのではなく、市民の多数が参加する我らの国の政体は、民主政(デモクラツィア)と呼ばれる。
われわれアテネ市民が発揮する勇気は、各自の行動原則から生まれる。
我々は美を愛する。だが節度をもって。我々は知を尊ぶ。しかし、溺れることなしに。我々は富を追求する。だが、可能性を保持するためであって、愚かにも自慢するためではない。
アテネでは貧しいことは恥ではない。だが、貧しさから脱出しようと努めないことは、恥とされる。
政治に無関心な市民は、静かさを愛するものとは思われず、市民としての意味を持たない人間とされる。
われわれ一人一人は、アテネの市民であるという名誉と経験と資質の総合体であることによって、一個の完成された人格を持つことになるのだ」
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他国人にとって「学校」でもあるアテネ人の生き方は、ペルシャさえも一目置くほどの、繁栄と強力な力となって眼前に展開していた。
紀元前5世紀半ば絶頂期にあったアテネを、後進国ローマの3人の元老院議員が視察のために訪れた。彼らはいったい何を得たのか。
なぜかローマはアテネを模倣しようとしなかった。
衰退期に入った国を訪れ、そこに示される欠陥を反面教師とするのは、誰にでもできることである。
だが、絶頂期にある国を視察して、その国のまねをしないのは、常人の技ではない。
実務の経験も豊かで年齢も充分な元老院議員三人が視察したのだ。紀元前5世紀半ばというこの時点のギリシャとの接触は、ローマ人に、模倣とは別の何かを考えさせたのではなかったか。
→読者をグイグイ惹きつけていく手法は、司馬遼太郎を思わせる
2500年を経て人類は少なからず進歩しているはずだ
なのに、ペリクレスのような、簡潔で明快で品位にあふれた演説ができる指導者を21世紀初頭に生きるわれわれは、持っているのだろうか。