10月12日は芭蕉忌

元禄7年(1694)の今日(旧暦)は芭蕉忌
51年の生涯を閉じた。330年前のこと
○行く秋や手をひろげたる栗の毬 芭蕉
この句には少々恥ずかしい思い出がある
俳文学の高名な先生の講演を聴いていた時、この句を採り上げて、詳しい解説なしに芭蕉翁の絶唱であるというような話があった
専門家仲間同士の会なので、皆了解しているものとして、話されたのだろう
しかし、私は「何故この句を高く評価されるのですか」と質問をしてしまった
予期しない質問で、先生はびっくりされたのか、絶句されてしまった
検索してみると、芭蕉が最後に到達した「軽み」の真髄の句だそうだ
「軽み」とはいったい何だ?
未だによくわからない
(以下、解説抜粋)
☆☆☆
『追善之日記』に「このこころは、伊賀の人々のかたくとどむれば、忍びてこの境を出んに、後におもひ合すべきよし、申されしが、永き別れとはぬしだにも祈りたまはじを・・・」
元禄七年(一六九四)五十一歳の作
芭蕉はこの年の初冬10月12日に大阪で逝去
この句はその直前に二ヶ月ほど故郷の伊賀に滞在し、大阪へ向かう数日前に詠んだもの
伊賀の人々は長く過酷な旅のせいでめっきり老け込んだ芭蕉のことを心配し、何とか故郷にとどまるようにすすめたが、芭蕉は大阪へ旅立つ
秋も去り行こうとしている今日此頃、栗の木の梢にはその毬が恰も手をひろげたように割れている
そのことは同時に「旅行くわたし」を伊賀の門人たちが止めてくれるような気がしてならない
伊賀の門人たちへの留別の意をこめた作であり、芭蕉の健康上の理由からも門人たちの惜別の情が深かった
「手をひろげたる」が無造作なような表現でありながら、そのさりげなさのなかにかえって豊かな感情を秘めている
このような俗語的表現を生かしたところに「軽み」の真髄といわれている