読書逍遥第382回『芭蕉の世界』(第1章) 尾形仂著
『芭蕉の世界』(第1章) 尾形仂著
本書は、芭蕉の天和期の漢詩文調から元禄期の軽みへの道に至るまでの作品の内面的世界に焦点をあて、俳諧の座という仲間とのかかわりの中で、笑いの意味を追求したもの
明快で含蓄の豊かな芭蕉評論の決定版
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第1章 蕉風の誕生
蕉風の誕生を、延宝8(1680)、芭蕉37歳頃からと見る
この年、江戸市中日本橋から深川の草庵に移り、貞門・談林俳諧を乗り越えて独自の新しい歩みを示し始める
この時期の特徴
1.漢詩文的緊張したリズム
2.張りつめた悲涼感
代表的な俳文 「乞食(こつじき)の翁」
「乞食の翁」は、天和元年(1681)冬12月、芭蕉38歳の作 唐代最高の詩人、杜甫の詩を踏まえた俳文
泊船堂主 華桃青
窓含西嶺千秋雪
門泊東海万里船
我其句を識て、其心を見ず。その侘びをはかりて、其の楽をしらず。唯、老杜にまされるものは独り多病のみ。閑素茅舎の芭蕉にかくれて、自ら乞食の翁とよぶ。
⭕️櫓声波を打ってはらわた氷る夜や涙
☆☆☆
杜甫 「絶句」
両箇の黄鸝 翠柳に鳴き
一行の白鷺 青天に上る
窓に含む西嶺 千秋の雪
門に泊す東呉 万里の船
四川省成都郊外の杜甫草堂(浣花草堂)の近くには錦江が流れ、大きな船着場がある。
芭蕉の「涙」とは、孤独な寂寥感の中から出た涙であると同時に、孤独を通して、孤独の底に、杜甫の詩情を確かめることができたという喜びの涙でもある。
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老杜、茅舎破風の歌あり。坡翁ふたたびこの句を侘びて、屋漏の句作る。その世の雨を芭蕉葉に聞きて、独寝の草の戸。
⭕️芭蕉野分して盥に雨を聞く夜かな
老杜: 杜甫
坡翁: 蘇東坡
盧の声の波を打つ音に耳を済まし、貧厨の釜の音を聞きしめ、餅つきのこだまをまさぐり、そして今また盥に落ちる雨だれの音に耳を傾けている。
そういう点からいえば、芭蕉はいわば「耳の詩人」といってもいいでしょう。
彼が聞きつけているのは、現実の音であるよりも、もっとその奥にある様々な詩人たちの声であり、かれはそれら古人たちの声との詩による合奏をかなでている。