読書逍遥

読書逍遥第373回『聖なる幻想の宇宙』1986刊行「世界 知の旅」シリーズ2 責任編集 森本哲郎

冨田鋼一郎

『聖なる幻想の宇宙』1986刊行「世界 知の旅」シリーズ2 責任編集 森本哲郎

見るだけの旅から、共感する旅へ
旅を深める新しいガイド

激しい変貌を遂げるインド
38年も前の本だが、「五千年にわたる精神史のありのままの堆積」するインドなのだから、インドを知る努力は無駄ではないはずだ

(はじめに)

私の手に負えなかったのはと、インドの首相だったネルーは書いている。インドの空間的な広さでも、その多様性でもなく、インドの魂の深さだった、と。(『インドの発見』)

インド人であるネルーでさえ見きわめるのにたじろいだインドの魂を、異国人である私たちが、どうして容易に理解できようか。

そこにあるのは遠くインダス文明にさかのぼる五千年にわたる精神史のありのままの堆積といってもいいからである。

じっさい、インドは歴史のすべてを何ひとつ排除することなく、あるがままに受け入れてきた。ヒマラヤの峰々に比することもできることも高貴な、深淵な哲学、神学から(仏教はそこから流れ出したのだ)想像を絶する貧困や矛盾や汚物に至るまで。

それはそこなしの寛容といってもいい。この世に存在するものはすべて存在理由(レゾン・デートル)を持っている、とインドは考えるのだ。

インドを旅する難しさはそこにある。だが、同時に、インドへと私たちを引きつける旅への誘いもそこにある。その衝撃と感動、内外の旅人のそうしたインド体験を中心に私は本巻を編んだ。

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三島由紀夫「インド通信」末文

今のところ、あらゆる面で、インドは出遅れているように見える。しかし、これだけの国の、これだけの旧套墨守はただごとではない。
インドはふたたび、現代世界の急ぎ足のやみくもな高度の技術化の果てに、新しい精神的価値を与えるべく用意しているのかもしれない。
ベナレスの水浴場で一心に祈りつつ水浴しているアメリカ青年の姿からも、私はそれを感じたのであった。

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ABOUT ME
冨田鋼一郎
冨田鋼一郎
文芸・文化・教育研究家
日本の金融機関勤務後、10年間「学ぶこと、働くこと、生きること」についての講義で大学の教壇に立つ。

各地で「社会と自分」に関するテーマやライフワークの「夏目漱石」「俳諧」「渡辺崋山」などの講演活動を行う。

著書
『偉大なる美しい誤解 漱石に学ぶ生き方のヒント』(郁朋社2018)
『蕪村と崋山 小春に遊ぶ蝶たち』(郁朋社2019)
『四明から蕪村へ』(郁朋社2021)
『論考】蕪村・月居 師弟合作「紫陽花図」について』(Kindle)
『花影東に〜蕪村絵画「渡月橋図」の謎に迫る』(Kindle)
『真の大丈夫 私にとっての漱石さん』(Kindle)
『渡辺崋山 淡彩紀行『目黒詣』』(Kindle)
『夢ハ何々(なぞなぞ)』(Kindle)
『新説 「蕪」とはなにか』(Kindle)
『漱石さんの見る21世紀』(Kindle)
『徹底鑑賞『吾輩は猫である』』(Kindle)
『漱石さんにみる良い師、良い友とは』(Kindle)
『漱石さん詞華集(アンソロジー)』(Kindle)
『曳馬野(ひくまの)の萩』(Kindle)
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