芭蕉(その2)「野ざらし紀行(甲子吟行)」
芭蕉は、わずか6年の間に5回も大きな旅を行い、それぞれ紀行文を遺した
「漂泊の詩人」といわれる所以だ
しかし、旅の規模からは、宗祗(1421-1505)など中世連歌師、遊行僧たちには及ばない
1. 野ざらし紀行1684〜1685 同行千里
2. 鹿島詣1687 同行曾良と宗波
3. 笈の小文1687 同行杜国
4. 更科紀行1688 同行越人
5. おくのほそ道1689 同行曾良
何故、同行者を取り換え、各地の俳人たちと歌仙を巻いたのか
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「野ざらし紀行(甲子吟行)」
貞享元年(1684)8月から貞享ニ年にかけての旅
千里に旅立て、路粮をつゝまず、三更月下無何に入ると云けむ、むかしの人の杖にすがりて、貞享甲子秋八月、江上の破屋をいづる程、風の声、そヾろ寒気也。
野ざらしを心に風のしむ身哉
秋十とせ却て江戸を指古郷
関こゆる日は雨降て、山皆雲にかくれたり。
霧しぐれ富士をみぬ日ぞ面白き
何某ちりと云けるは、此たびみちのたすけとなりて、万いたはり、心を尽し侍る。常に莫逆の交ふかく、朋友信有哉此人。
深川や芭蕉を富士に預行 ちり
富士川のほとりを行に、三つ計なる捨子の哀気に泣有。この川の早瀬にかけて、浮世の波をしのぐにたへず。露計の命待まと捨置けむ。小萩がもとの秋の風、こよひやちるらん、あすやしをれんと、袂より喰物なげてとほるに、
猿を聞人捨子に秋の風いかに
いかにぞや、汝ちゝに悪まれたるか、母にうとまれたるか。ちゝは汝を悪にあらじ、母は汝をうとむにあらじ。唯これ天にして、汝が性のつたなきをなけ。
大井川越る日は、終日雨降ければ、
秋の日の雨江戸に指おらん大井川 ちり
馬上吟
道のべの木槿は馬にくはれたり
二十日余の月かすかに見えて、山の根際いとくらきに、馬上に鞭をたれて、数里いまだ鶏鳴ならず。
(以下略)