芭蕉(その1)「古池や」
ある事に迫られて芭蕉(1644-1694)をもう一度読み直すことにした
芭蕉さんは、自分の中にしっかり根を下ろしてもらいたい人物のひとりなのに、手強すぎて、ここまで来てしまった
○古池や蛙飛び込む水の音 芭蕉
現在では、おそらく世界で最も有名な句
貞享三年(1686)芭蕉43歳の時の作で、開眼の句とされる
貴族的伝統詩である和歌では、清らかな流れに鳴き交わす蛙の声を詠むのが常である
これに対して、澱んだ古池に蛙の飛び込む音と捉えたのが、庶民詩としての俳句にふさわしい芭蕉の新しい発見とされる
今でも池では春先に鳴き声が聞こえるし、通年見かける身近な存在だ
次の尾形先生の見事な解説をメモして、心に刻んでおく
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蛙の水に飛び込むことというのは、実際にはほとんど聞き取れないくらいの、かすかな水音です。
これは作者の心の耳で聞きつけた、春の到来に伴う自然の生命の鼓動といったらいいかと思います。
この句は、「や」という切れ字による切断を介して、時間の動きから取り残された生命の休止した静寂の世界と、陽春の気の発動による、かすかながら確かな自然の生命の鼓動とを、ちょうど映画のカット・バックのように対置するとともに、さらに句の終わりを「水の音」と言い切ったままにしています。
水の音が「した」とも「聞こえる」とも言っていません。
その空白部を埋めようとする読者の想像力を呼び起こします。
結局、そうした簡潔で、空白の多い暗示的表現を通して、古池の「静」の世界へ、春の訪れを告げるかすかな水音の「動」が点ぜられ、ふたたびもとの静寂に立ち戻る。
その転換の微妙な一瞬を捉えたところが、この句の面白さでしょう。
蛙の飛び込むかすかな水音が、古池の静かさをいっそうはっきり意識させ、水の音の消えた後の世界は、生命の蘇りを孕みながら、より深い静寂感に包まれます。