第20回『ケネディの道』セオドア・ソレンセン
冨田鋼一郎
有秋小春
⭕️敷島ややまと言葉の海にして
拾ひし玉はみがかれにけり
後京極
仙台藩大槻家三代にわたる激動の幕末維新期の知的冒険記
藩とか幕府を越える「日本」の国家意識の芽生え
西洋を学ぶことは、ただ西洋を知ることでなく、西洋から自らを区別すること
①大槻「玄沢」(1757-1827) 号・磐水
蘭学を根付かせた
杉田玄白と前野良沢から名前をもらった
②大槻「磐渓」(1801-1878)
開国論を唱えた
③大槻「文彦」(1847-1928)
日本辞書の編纂
明治24年の大津事件は、政府高官の胸にも国民の心にも、条約改正問題と結びついて、色濃く焼き付けられた。
国際社会でのこの国の不安定な立場があまりにも鮮やかだった。
大槻文彦の『言海』が完成したのは、こういう時だった。文彦の使命感と自負とが、この「時」と深く関わっている。
この国が半国家であることの悲しみが、大槻文彦という人間と『言海』という辞書との根にある。
学問によって世界と素肌で触れてはいたが、「藩」と呼ぶ国と「日本」と呼ぶ国とが文彦のなかで交錯する。二つの国をどう重ねていけばいいのか
明治初期の課題が「近代国家建設」だとすれば、令和のいまの課題はいったい何と表現すればいいのか
歴史から学ぶ姿勢を大切にしたい