大陸から見た東京の位置
冨田鋼一郎
有秋小春
2024.9.13朝日デジタル
男女共同参画の政策推進に尽力した市川房枝記念会元理事長の縫田曄子さんが9日、老衰で死去した。102歳だった。葬儀は行わず、後日、お別れの会を開催する予定。
終戦直前、NHKに入り、同局初の女性解説委員となった。東京都民生局長や国立婦人教育会館館長、国連女性の地位委員会日本代表などを歴任。女性運動家の市川房枝さんが1981年に亡くなった後、86~93年に市川房枝記念会(当時)2代目の理事長を務めた。
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縫田曄子(旧姓・太田)さん
父、太田宇之助(1891-1986)
朝日新聞ジャーナリスト
戦前中国駐在が長く、晩年杉並区久我山の自宅(約3000坪)は東京都に寄贈された
その自宅敷地跡には、東京都によって「太田記念館」が建設され、中国はじめ東南アジアからの留学生寄宿舎として草の根交流の場となっている
夫、縫田清二(1922-1995)
横浜国立大学名誉教授、社会思想史家
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上海で生まれ、日中の架け橋になって欲しいとの思いで、「曄子」と名付けられたという
日本の現代社会において女性で顕著な活躍をされた第一世代にあたる
なお、同年生まれに瀬戸内寂聴さんがいる
瀬戸内寂聴(1922-2021)
縫田曄子(1922-2024)
私は、直接縫田曄子さんにお会いしたことはないが、多少の接点を持っているので、ここに記しておく
合掌