第27回『スコットランドの漱石』多胡吉郎
冨田鋼一郎
有秋小春
白状すると、宮沢賢治を読んだことがない
これをガイドにして賢治ものを手にしてみたい
☆☆☆☆
私が漱石から学んだ事は、「人間(自分も含めて)をどう見るか」という視点でした。
私が宮沢賢治から学んだものは、「自然をどう見るか」という視点だと思います。
『祭の晩』のような作品でさえ、山男が切なくなるほどかわいそうに思えてきますし、『雁の童子』の「哀しさ」はどう形容したらよいのでしょうか。
そこには人間の根底に潜む大切な情感が、見事な表現で語られています。
それは動物に仮託されている『よだかの星』でも『烏の北斗七星』でも同じことです。
でも例えば『蟻ときのこ』のような、ごく小さなさりげない作品の中でも、きのこがブルブル震えながら育っていく様を、蟻の目から見た描写の素晴らしさ、なんと言ったらいいんでしょうかね。
まるで特殊撮影で、あるいは顕微鏡の映像を見ているような感じがしませんか。
普通に接していたのでは見逃してしまうような自然の一襞一襞を、これを見逃しては駄目だよというように、私たちにそっと見せてくれる、それが賢治を読むときの醍醐味ではないでしょうか。
雨の降り出す前、木の葉の裏が風に白むように一瞬の姿をさらす。
そんな描写も、いたるところに探し当てることができます。
心象は賢治のキーワードですが、自然の姿と人間の心象とが、不思議な形でひとつになっている。
そんな賢者の特徴は、ちょっとほかの誰からも見えてこない、ほんとに特別なものではないか、そんなふうに思います。
それを味わいたくて、私は繰り返し、賢治の作品を今でも書棚から取り出すのでしょうね。
「自分を建築するBildung」
漱石と賢治は、よくも悪くも「私を造り上げ」てくれた最大の要素である