読書逍遥

読書逍遥第355回『あらためて教養とは』(その2) 2004 村上陽一郎著

冨田鋼一郎

『あらためて教養とは』(その2) 2004 村上陽一郎著

白状すると、宮沢賢治を読んだことがない

これをガイドにして賢治ものを手にしてみたい

☆☆☆☆

私が漱石から学んだ事は、「人間(自分も含めて)をどう見るか」という視点でした。

私が宮沢賢治から学んだものは、「自然をどう見るか」という視点だと思います。

『祭の晩』のような作品でさえ、山男が切なくなるほどかわいそうに思えてきますし、『雁の童子』の「哀しさ」はどう形容したらよいのでしょうか。

そこには人間の根底に潜む大切な情感が、見事な表現で語られています。

それは動物に仮託されている『よだかの星』でも『烏の北斗七星』でも同じことです。

でも例えば『蟻ときのこ』のような、ごく小さなさりげない作品の中でも、きのこがブルブル震えながら育っていく様を、蟻の目から見た描写の素晴らしさ、なんと言ったらいいんでしょうかね。

まるで特殊撮影で、あるいは顕微鏡の映像を見ているような感じがしませんか。

普通に接していたのでは見逃してしまうような自然の一襞一襞を、これを見逃しては駄目だよというように、私たちにそっと見せてくれる、それが賢治を読むときの醍醐味ではないでしょうか。

雨の降り出す前、木の葉の裏が風に白むように一瞬の姿をさらす。
そんな描写も、いたるところに探し当てることができます。

心象は賢治のキーワードですが、自然の姿と人間の心象とが、不思議な形でひとつになっている。

そんな賢者の特徴は、ちょっとほかの誰からも見えてこない、ほんとに特別なものではないか、そんなふうに思います。

それを味わいたくて、私は繰り返し、賢治の作品を今でも書棚から取り出すのでしょうね。

「自分を建築するBildung」

漱石と賢治は、よくも悪くも「私を造り上げ」てくれた最大の要素である

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ABOUT ME
冨田鋼一郎
冨田鋼一郎
文芸・文化・教育研究家
日本の金融機関勤務後、10年間「学ぶこと、働くこと、生きること」についての講義で大学の教壇に立つ。

各地で「社会と自分」に関するテーマやライフワークの「夏目漱石」「俳諧」「渡辺崋山」などの講演活動を行う。

著書
『偉大なる美しい誤解 漱石に学ぶ生き方のヒント』(郁朋社2018)
『蕪村と崋山 小春に遊ぶ蝶たち』(郁朋社2019)
『四明から蕪村へ』(郁朋社2021)
『論考】蕪村・月居 師弟合作「紫陽花図」について』(Kindle)
『花影東に〜蕪村絵画「渡月橋図」の謎に迫る』(Kindle)
『真の大丈夫 私にとっての漱石さん』(Kindle)
『渡辺崋山 淡彩紀行『目黒詣』』(Kindle)
『夢ハ何々(なぞなぞ)』(Kindle)
『新説 「蕪」とはなにか』(Kindle)
『漱石さんの見る21世紀』(Kindle)
『徹底鑑賞『吾輩は猫である』』(Kindle)
『漱石さんにみる良い師、良い友とは』(Kindle)
『漱石さん詞華集(アンソロジー)』(Kindle)
『曳馬野(ひくまの)の萩』(Kindle)
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