読書逍遥第261回『叡山の諸道』司馬遼太郎著
冨田鋼一郎
有秋小春
村上 陽一郎(1935- )
日本の科学史家・科学哲学者。
だいぶ前、軽井沢夏季大学で村上先生の話を聴いたことがある
今89歳 ご健在だろうか
ありがたい本に出会ったと感じた本だった
改めてページを繰ってみる
人間が作られる過程での書物の役割の重要さについて、著者は、漱石と宮沢賢治の読書体験を語っている
自分の肥やしとなるように、引きつけて読むということ
この見方に随分と影響を受けた
@@@@
「私を造った書物たち」
漱石の小説は、ほとんどとっかえひっかえ、自分の人生の中で何度でも読んできました。
漱石の描く人間といっても、言うまでもなく「男」ですが、そこで描かれる「弱さ」を自分の中に一つひとつ認めることによって、私は自分を作ってきました。
また、漱石の作品の中に描かれる女性像を、現実に出会う女性に一つひとつ当てはめることで、私の女性を見る目も作られていったと言ってよいでしょう。
それは折に触れ、繰り返し繰り返し読むことで、そのときどきの「自分」が見えてくる、という体験を通じて、私がやってきたことです。
「明暗」の津田
「それから」の代助 ええかっこしい
「門」の宗助 小市民的
「行人」の一郎
「心」の先生
主人公の持つ弱さ、醜さ
見栄っ張り エゴイスト ええかっこしい かっこ悪い
結局、漱石の描く「男」は、そういう人間としての弱さをえぐり出すために描かれているようなところがあって、それを読んでいる自分自身がまさしくそういう要素を持っていることを暴きたてられている、という感覚を持たされてきました。
自分の中の弱さを見つけ出して、何とかそれと戦わなければならないというのが私の人生だったと言ってもいいんです。
@@@@