読書逍遥第229回 『モンゴル紀行』(その6) 街道をゆく5 司馬遼太郎著
冨田鋼一郎
有秋小春
著者の蕪村「梅」鑑賞の仕方には、教えられることが多い
森本哲郎氏は第一級の詩の鑑賞家だと思う
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⭕️散たびに老ゆく梅の木末かな
ゴツゴツと黒ずんだ梅の幹。梅も老いたのであろう。しかし、「老ゆく梅」は、どことなく床しい。
人間も何かひとつ仕事をするたびに老いてゆく。僕も原稿用紙一枚を書くごとに老いを深めるように思える。
蕪村は一句を吐くつど、絵を一作描き上げるたびに老いてゆく自分を、あらためて感じたに違いない。
この句には、そんな作者の姿がありありと映っている。
⭕️梅折て皺手(しわで)をかこつ薫(かほり)かな
梅の一枝を折って手にすると、花の香が皺を刻んだ手に移って、その皺手にしみじみと老いを実感する、というのである。
かこつとは嘆くの意だが、その嘆きには、同時に充足感も込められているのではなかろうか。
老いとは、充足することでもあるからだ。若い頃には、決して感じることもなかった、というより、味わい得なかった人生の充実感である。