中欧班列 Trans-Eurasia Logistics
冨田鋼一郎
有秋小春
どのページの歌をみても、親父の面影、息遣いを感じる
2週間で便箋一枚に歌が埋まる(最初は鉛筆で、途中1988年からワープロになる)
びっしりと短歌が書かれた便箋を手渡されたときに、どうして感想を伝えることが出来なかったのか
毎日一首のペースを50年も続けたことに驚き
82歳当時の1997年からいくつか
○ 立春の朝よく晴れて馥郁と
紅白の梅咲き揃いたり
(1997.2)
○ 「東京歩十八会」
敵が撮りしグワ島激戦のビデオ
見せられ無惨唇を噛む
(1997.2)
○ 「小日向台町」
「坊ちゃん」の結びの一行で覚えたる
我には記念の小日向台町
(1997.3)
○ 「花時の関口芭蕉庵」
芭蕉庵の門開かれて訪う人の
連なり巡る桜花見上げつつ
(1997.4)
○ 「根岸子規庵」
気迫には気圧さるばかり子規庵に
気持静めて門を潜り抜りぬ
(1997.9)
○ 「絵画ゴッホ」
近づきつ距離おきつ見るゴッホの絵
大地も空ものたうつ如し
(1997.11)