2024.9.16敬老の日「天声人語」を心して読む
冨田鋼一郎
有秋小春
どのページの歌をみても、親父の面影、息遣いを感じる
2週間で便箋一枚に歌が埋まる(最初は鉛筆で、途中1988年からワープロになる)
びっしりと短歌が書かれた便箋を手渡されたときに、どうして感想を伝えることが出来なかったのか
毎日一首のペースを50年も続けたことに驚き
81歳当時の1996年からいくつか
○ 「老いの一日」
目覚め早く二度と眠れぬ老いが身の
新聞来るを所在なく待つ
(1996.1)
○ 「寒の富士」
高速道ゆく車より見え高々と
空に浮きたる富士を見飽かず
(1996.2)
○ 「老いの偶感」
霞む字を眼鏡の所為と無意識に
息かけ拭きて朝刊を読む
(1996.4)
○ 「老いの偶感」
二階にはめったに昇らぬ老いが住まい
二階いつしか物置きめきぬ
(1996.4)
○ 「湯島聖堂」
「孔子の木」といみじくも名付け給いたる
富太郎博士偲ばす楷の木
(1996.10)
○ 「樋口一葉旧跡探訪」
炭団坂登りても一度一葉の
住みにし谷底振り返り見ぬ
(1996.12)