読書逍遥第335回『南蛮の道』(その7) 司馬遼太郎著
『南蛮の道』(その7) 司馬遼太郎著
「リスボン市街散策」
リスボンはテージョ川河口の港町
ヴァスコ・ダ・ガマはここから大航海に出た
ジェロニモス修道院
海洋博物館
ベレンの塔
ファルマ地区
コメルシオ広場
見学後に菓子屋に入る
味わい深く、目に浮かぶ情景描写だ
1755年のリスボンの大地震によって、それまで繁栄を遂げていたポルトガルの凋落が始まったとされる
しかし、凋落は悲しむべきことでなく、この文章のような多様化した穏やかな社会の姿をみると、日本社会の未来を悲観的に想像してしまう
@@@@
菓子屋のなかに入ってみると、菓子を売る第一室は薄暗かった。第2室は買った菓子を食べる部屋で、天井がガラス張りになっており、昼間の銭湯のようにあかるい。床は、例によってタイルが張られているが、呉須ブルーではなく、茶色である。すわると、船室に招じられたように気分が良かった。
給仕娘は紺の制服にエプロンを着け、髪を白い帽子でおおっていて、表情も服装もごく自然に古典的である。彼女にメニューの中の1点を指差すと、やがてミルク入りの練り菓子(ペーストリー)を持ってきた。ポルトガル語ではパステル・デ・ナタというのだそうだ。
「生菓子と言うべきものですな」川口氏がおそろしいものでも見るように覗き込んだ。
やがて、一団の賑やかな婦人客の声が第一室から聞こえてきて、第3室にゆくために私どもの”船室”を通り抜けた。みなアフリカ系の人で、そのなかの蜂蜜色の皮膚を持った婦人などは、中年というのに、容貌も表情も女学生のように可愛かった。
外国からの渡航者ではなさそうで、リスボン在住の市民であるようだった。
「いい街ですね」
心から思った。多様な人種が、ああいう明るい表情で暮らしている街こそ、世界感覚のある街だというべきだろ。
くろぐろと一民族で構成していて、何代も住む在日外国人をさえ、特別な法的処遇をしている東京や大阪というのは、本当の意味での世界性を身に付けてゆけるのだろうか。