[的皪(てきれき)]
冨田鋼一郎
有秋小春
どのページの歌をみても、親父の面影、息遣いを感じる
2週間で便箋一枚に歌が埋まる(最初は鉛筆で、途中1988年からワープロになる)
びっしりと短歌が書かれた便箋を手渡されたときに、どうして感想を伝えることが出来なかったのか
毎日一首のペースを50年も続けたことに驚き
79歳当時の1994年からいくつか
○ 「誕生日」
比庵師と生まれ日同じの七十九
その齢の師の書画に見とるる
(1994.2)
○ 「リルハンメル五輪大会」
墨書きされし日の丸見れば蘇る
兵に駆り立てられし若き日
(1994.3)
○ 「米不足」
何のため減反なりし只一度の
冷夏に出来し米買う行列
(1994.3)
○ 「米不足」
比島に負け虚脱の俘虜にあてがいの
カリフォルニア米のうまさ忘れず
(1994.3)
○ 「故里」
好物なりし鰻に亡き父母偲ばんと
故里分葱(わけぎ)の採りたてを買う
(1994.4)
○ 「シンドラーのリスト」
見終わりし映画の無残の舞台なる
クラクフとう町地図上に探す
(1994.5)