読書逍遥第332回『南蛮の道』(その4) 司馬遼太郎著
『南蛮の道』(その4) 司馬遼太郎著
イベリア半島の文明史的視点からの説明
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文化は交流するものである。
どの民族が優れている、という迷信は人類が最後まで持ち続けたがる迷信かもしれないが、いずれは衰弱してユーモアになってしまうかもしれない。
ついには、その国の民度を測る基準として、極端に自文化についての優越感情をもっている民族こそ、卑陋で安っぽいといわれるようになるに違いない。
イベリア半島の文化に影響を与えたといって、アラビア人が誇ることではない。
かつてのアラビア人は、商業と航海の民であったために、波を越えて他の世界へ行き、異文化を切り取っては別の地域に伝播する蝶のような役割を果たしていた。
10世紀前後まで、彼らの思弁的な学問はヨーロッパより優れていたといわれるが、それも、周知のように、ヨーロッパ人が忘れたギリシャ文化がアラビア人経由で再移植されたに過ぎない、ともいえる。
ゼロの発見(期限7世紀以前)は、古代インド人の功績である。その花粉を脚につけて西方にもたらしたのはアラビア人であった。
ゼロと一緒にインド紀元のアラビア数字も西方へ飛んでいった。それがまわりまわって日本に来るのはようやく19世紀になってからである。
このような世界史規模での交流を挙げていればきりがない。
ただイベリア半島の場合、イスラム文明がその根拠地以上の華やかさで開花した。その最も単純な例は、城郭や宮殿と言う巨大建造物である。
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リスボン鉄道で、スペインを超えて、最初のポルトガル領のマルバウン・ベイラ駅に着く。
その駅舎の建築様式が一変する。スペインでは、白一色の外壁であるが、ポルトガルに入るとコバルトの絵タイルが貼られている。
(唐三彩、元の染付、タイル趣味などコバルトの話題を次の言葉で締め括る)
「このタイルの”コバルト画”でもわかるように、「文化」というのは海流のように地球をめぐっている。この点、人類は意外に希望のもてる存在だと思わざるを得ない」