父の残した膨大な短歌ファイルを繰る(その12)
冨田鋼一郎
有秋小春
どのページの歌をみても、親父の面影、息遣いを感じる
2週間で便箋一枚に歌が埋まる(最初は鉛筆で、途中1988年からワープロになる)
びっしりと短歌が書かれた便箋を手渡されたときに、どうして感想を伝えることが出来なかったのか
毎日一首のペースを50年も続けたことに驚き
78歳当時の1993年からいくつか
○ 「大寒」
夜なべする妻に教わり無聊わがコップ
二杯の甘酒沸かす
(1993.1)
○身の締まる寒さの中に首竦め
仰ぐ朝日に梅匂いくる
(1993.1)
○ 「誕生日 二月八日」
父母の齢遥かに越えて巡り合う
今日の生まれ日おろそかならず
(1993.2)
○ 「金婚式 二月二十三日」
嫌われず世話にもならず頼られず
二人健やかに老いたきものを
(1993.3)
○ 「ゴルフ」
ティショットを軽々振りし子のボール
遥かに目がけ第二打を打つ
(1993.8)
○ 「弁天島 浜名湖」
この深みに溺れかかりしを曳き上げて
くれたる叔母も逝きて遥けき
(1993.12)
○雲出でて冷えびえ暮れし冬至日の
弓張月が中天に冴ゆ
(1993.12)