読書逍遥

読書逍遥第328回 短編小説『太郎坊』幸田露伴著

冨田鋼一郎

短編小説『太郎坊』幸田露伴著

幸田露伴の作品はほとんど読んだことがない 唯一、読んだ短編が『太郎坊』 印象深い話だ

縁側での夕食時、夫婦の間に交わされる短い会話が作品のすべて

ある夏の夕暮れ時、夫は仕事から帰り、庭に打ち水をする場面からはじまる

夫が銭湯に行っている間に、女中は縁側の雑巾掛け、妻は台所で夕餉の準備

岐阜提灯が吊るされた縁側に花ゴザが敷かれ、煙草盆と小さな黒塗りのお膳が並べられる

台所から出てくる妻
鯵の塩焼きの乗ったお膳
盃をとりあげる夫

小道具で明治日本の生活を描き込む
季節のうつろいにさらされながら夫婦の会話で食事が進む

食事中、ある出来事から夫は思いがけなく過去にあったことを話し出す

どっしりと存在感を持った明治の中年男子と応対する細君との穏やかなやりとり

末尾は、冒頭の打ち水に対応させる名文で余韻を残す

(冒頭)
「見るさへまばゆかつた雲の峯は風に吹き崩されて夕方の空が青みわたると、真夏とはいひながら、お日様の傾くに連れて流石に凌ぎよくなる。軈(やが)て五日頃の月は葉桜の繁みから薄く光つて見える。其下を蝙蝠が得たり顔にひらひらと彼方此方へ飛んで居る。
主人は甲斐甲斐しく、はだし尻端折で庭に下り立つて蝉も雀も濡れよとばかりに打水をして居る。丈夫づくりの薄禿の男ではあるが其余念のない顔付は、おだやかな波を額に湛へて、今は十分世古に長けた身の最早何事にも軽々しくは動かされぬといふやうなありさまを見せて居る。

(末尾)
「一陣の風はさッと起つて籠洋燈(ランプ)の火を瞬きさせた。夜の涼しさは座敷に満ちた」

☆☆☆

今となっては、もう縁側のある家に住むことは望むべくもない
季節感のある、なんという奥行きのある暮らしだろう

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ABOUT ME
冨田鋼一郎
冨田鋼一郎
文芸・文化・教育研究家
日本の金融機関勤務後、10年間「学ぶこと、働くこと、生きること」についての講義で大学の教壇に立つ。

各地で「社会と自分」に関するテーマやライフワークの「夏目漱石」「俳諧」「渡辺崋山」などの講演活動を行う。

著書
『偉大なる美しい誤解 漱石に学ぶ生き方のヒント』(郁朋社2018)
『蕪村と崋山 小春に遊ぶ蝶たち』(郁朋社2019)
『四明から蕪村へ』(郁朋社2021)
『論考】蕪村・月居 師弟合作「紫陽花図」について』(Kindle)
『花影東に〜蕪村絵画「渡月橋図」の謎に迫る』(Kindle)
『真の大丈夫 私にとっての漱石さん』(Kindle)
『渡辺崋山 淡彩紀行『目黒詣』』(Kindle)
『夢ハ何々(なぞなぞ)』(Kindle)
『新説 「蕪」とはなにか』(Kindle)
『漱石さんの見る21世紀』(Kindle)
『徹底鑑賞『吾輩は猫である』』(Kindle)
『漱石さんにみる良い師、良い友とは』(Kindle)
『漱石さん詞華集(アンソロジー)』(Kindle)
『曳馬野(ひくまの)の萩』(Kindle)
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