読書逍遥第297回読書逍遥『元気に下山 毎日を愉しむ48のヒント』五木寛之著 2019発行
冨田鋼一郎
有秋小春
幸田露伴の作品はほとんど読んだことがない 唯一、読んだ短編が『太郎坊』 印象深い話だ
縁側での夕食時、夫婦の間に交わされる短い会話が作品のすべて
ある夏の夕暮れ時、夫は仕事から帰り、庭に打ち水をする場面からはじまる
夫が銭湯に行っている間に、女中は縁側の雑巾掛け、妻は台所で夕餉の準備
岐阜提灯が吊るされた縁側に花ゴザが敷かれ、煙草盆と小さな黒塗りのお膳が並べられる
台所から出てくる妻
鯵の塩焼きの乗ったお膳
盃をとりあげる夫
小道具で明治日本の生活を描き込む
季節のうつろいにさらされながら夫婦の会話で食事が進む
食事中、ある出来事から夫は思いがけなく過去にあったことを話し出す
どっしりと存在感を持った明治の中年男子と応対する細君との穏やかなやりとり
末尾は、冒頭の打ち水に対応させる名文で余韻を残す
(冒頭)
「見るさへまばゆかつた雲の峯は風に吹き崩されて夕方の空が青みわたると、真夏とはいひながら、お日様の傾くに連れて流石に凌ぎよくなる。軈(やが)て五日頃の月は葉桜の繁みから薄く光つて見える。其下を蝙蝠が得たり顔にひらひらと彼方此方へ飛んで居る。
主人は甲斐甲斐しく、はだし尻端折で庭に下り立つて蝉も雀も濡れよとばかりに打水をして居る。丈夫づくりの薄禿の男ではあるが其余念のない顔付は、おだやかな波を額に湛へて、今は十分世古に長けた身の最早何事にも軽々しくは動かされぬといふやうなありさまを見せて居る。
(末尾)
「一陣の風はさッと起つて籠洋燈(ランプ)の火を瞬きさせた。夜の涼しさは座敷に満ちた」
☆☆☆
今となっては、もう縁側のある家に住むことは望むべくもない
季節感のある、なんという奥行きのある暮らしだろう