ノイバラなど
冨田鋼一郎
有秋小春
どのページの歌をみても、親父の面影、息遣いを感じる
2週間で便箋一枚に歌が埋まる(最初は鉛筆で、途中1988年からワープロになる)
びっしりと短歌が書かれた便箋を手渡されたときに、どうして感想を伝えることが出来なかったのか
毎日一首のペースを50年も続けたことに驚き
77歳当時の1992年からいくつか
○平凡も幸せとこそ年の世の
妻に感謝の言葉を述ぶる
(1992.1)
○同期生の訃を又聞きぬ定めとて
欠けゆくあとさき知るべくもなく
(1992.6)
○亡き祖父の盆栽愛ずる面影の
矯めつ眇めつ眼鏡越しなる
(1992.8)
○ 「終戦追想」
俘虜に届く壊滅ニュースの浜松の
我が家思えば言葉なかりき
(1992.9)
○終戦は知るべくもなくジャングルに
ビラ撒く敵機を訝りて見き
(1992.9)
○秋空に水木の今年の仕上げとも
固き粒実の朱を輝かす
(1992.11)
○はしごなる妻が高枝鋏もて
熟れ柿落とすよき日和なり
(1992.12)