読書逍遥

読書逍遥第325回『日本の挽歌 失われゆく暮らしのかたち』(その1) 森本哲郎著

冨田鋼一郎

『日本の挽歌 失われゆく暮らしのかたち』(その1)

森本哲郎氏の著作から、ものの見方、感じ方、考え方をどれだけ教えられたか

これもその一つ

☆☆☆☆

火鉢 軒端 下駄 濡れ縁 枝折り戸 井戸 扇 簾 水車 蚊帳 露店 祭り 手拭い 障子 手桶 提灯 路地 砧 屏風 野路 鐘 など

かつて日本人の暮らしと共にあった生活や風物をたどり、広く日本的なもの、日本人の不変の情感にせまる

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ときどき私は「文明」とはなんなのだろうと思う。

その一番いい定義は、「いっさいを間接的なものにする装置」ということではなかろうか。

そう、文明の第一歩は「雨露(うろ)をしのぐ」ことから始まったのである。

「雨露をしのぐ」とは雨露を間接的なものにすることである。それは大いに感謝すべきことであり、少しも悲しむべきことではない。

だが、「文明」はそうした間接化の道を、ただひたすら無際限に推し進めることになった。

そのあげく、自然の声は十重二十重(とえはたえ)に遮断され、それに代わって、人工的な騒音が生活の全領域を支配するようになった。「文明」は、私たちから自然の声を奪ったのである。

日本人はむかしから音に大変敏かった。どれほど小さな自然の声も聞きもらさなかった。どんな詩人もその声に耳を傾け、そしてうたった。

ホトトギスのただ一声を聞くために、夜どおし起きていた。雨漏りを受ける盥に落ちる雨の音に聞き入っていた。耳もとを過ぎる昼の蚊の羽音の弱さで、忍び寄る秋を知った。岩にしみ入るような蝉の声の中に静寂を感じ取った。確かな風にも葉ずれの音を立てる竹をこよなく愛した。

○わが屋戸のいささ群竹吹く風の
  音のかそけきこの夕かも  大伴家持

今から千ニ百年もむかし、奈良朝の歌人がこううたっているのを思うとき、私はいまさらのように、そのかそけき音のなかに日本人の魂をきく思いがするのである。

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ABOUT ME
冨田鋼一郎
冨田鋼一郎
文芸・文化・教育研究家
日本の金融機関勤務後、10年間「学ぶこと、働くこと、生きること」についての講義で大学の教壇に立つ。

各地で「社会と自分」に関するテーマやライフワークの「夏目漱石」「俳諧」「渡辺崋山」などの講演活動を行う。

著書
『偉大なる美しい誤解 漱石に学ぶ生き方のヒント』(郁朋社2018)
『蕪村と崋山 小春に遊ぶ蝶たち』(郁朋社2019)
『四明から蕪村へ』(郁朋社2021)
『論考】蕪村・月居 師弟合作「紫陽花図」について』(Kindle)
『花影東に〜蕪村絵画「渡月橋図」の謎に迫る』(Kindle)
『真の大丈夫 私にとっての漱石さん』(Kindle)
『渡辺崋山 淡彩紀行『目黒詣』』(Kindle)
『夢ハ何々(なぞなぞ)』(Kindle)
『新説 「蕪」とはなにか』(Kindle)
『漱石さんの見る21世紀』(Kindle)
『徹底鑑賞『吾輩は猫である』』(Kindle)
『漱石さんにみる良い師、良い友とは』(Kindle)
『漱石さん詞華集(アンソロジー)』(Kindle)
『曳馬野(ひくまの)の萩』(Kindle)
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