読書逍遥第328回 短編小説『太郎坊』幸田露伴著
冨田鋼一郎
有秋小春
1982年のフランス、スペイン、ポルトガルへの旅
フランシスコ・ザヴィエル(1506-1552)の人生をたどる
[南蛮について]
この旅の目的
南蛮文化、南蛮美術、南蛮屏風、南蛮鐔、南蛮菓子とかいう「南蛮」とは何かということをこの旅で感じたい
日本では、古くから、本朝、震旦(しんたん 中国)、天笠(てんじく インド)という3つの文明圏しかないという思い込みがあった
むろん朝鮮の存在は『古事記』『日本書紀』の時代から濃厚すぎるほどの認識があったが、文明圏としてはおおざっぱに震旦と天竺という2つの大きなものがあると認識してきた。
その三国世界観の壁を破って飛び込んできたのが、南蛮というものであった。
ちなみに、日本語解釈の上で南蛮というのはスペイン、ポルトガルのことであり、やや遅れて成立する紅毛(こうもう)というのはオランダのことである
南蛮の語感には、切支丹(カトリック)という意味の裏打ちがあり、紅毛の語感には、プロテスタントの裏打ちがあって、豊臣期末から江戸期にかけての切支丹禁制にあっては、南蛮は全否定されるが、紅毛は江戸期が終わるまで長崎出島のオランダ館において貿易関係が続いた
南蛮文化の渡来が、具体的に人間の形をとったものとしては、1543 (天文12 )年、種子島に漂着したポルトガル人たちである
種子島の砂浜に鉄砲たずさえた異相の人たちが現れてから6年後に、志と計画をもって日本に上陸をしたのが、宣教師フランシスコ・ザビエルである。以後、宣教師、商人が陸続として日本に来た
彼らが日本にもたらしたのは、鉄砲とカトリックだけでなく、好奇心の旺盛なこの島国に有形無形の影響を残した