コンビニの外国からの若い店員さん
冨田鋼一郎
有秋小春
どのページの歌をみても、親父の面影、息遣いを感じる
2週間で便箋一枚に歌が埋まる(最初は鉛筆で、途中1988年からワープロになる)
びっしりと短歌が書かれた便箋を手渡されたときに、どうして感想を伝えることが出来なかったのか
毎日一首のペースを50年も続けたことに驚き
76歳当時の1991年からいくつか
バブルの熱狂や崩壊を詠んだ歌が見当たらない
○ 湾岸戦争
アラーの神に縋るイラクも神風を
頼みし日本も共に独善
(1991.2)
○不得意の尻上がり出来たと夢にみる
この嬉しさは少年のもの
(1991.3)
○柿若葉滴るばかりの緑冴え
薄日の中を小糠雨降る
(1991.5)
○愚直の外生きるすべなき生涯の
大正・昭和・平成もまた
(1991.6)
○ソ連邦消ゆ
われ程の寿命にも満たず消ゆるかと
ソ連ニュースを息詰めて聞く
(1991.12)
○ソ連邦消ゆとうニュースはシベリアに
果てにし戦友に先ず伝えたし
(1991.12)