読書逍遥第252回『北のまほろば』街道をゆく41『秋田県散歩・飛騨紀行』街道をゆく29 司馬遼太郎著
冨田鋼一郎
有秋小春
長江流域の水を北の黄河へ送る構想は、毛沢東が提唱した「南水北調」として今でも生きている
その治水思想の根源は、はるか隋王朝まで遡る
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《万里の運河(万里の長城の水系版)と宋の繁栄》
「万里の長城」 は、外敵の侵入を防ぐため
「黄河・長江を結ぶ大運河」は、物資の流通による経済活動促進が主目的
現代文明にとって高速道路は不可欠なものだ
それと同様に、中国文明を作り上げたのは、船の道である大運河であった
それまで中国各地に設けられた運河を巨大なネットワークにしたのが随時代
土木技術は、随時代煬帝からの遺産である
隋初代皇帝楊堅(文帝)
都長安は水利の便がない
次代楊広(煬帝) が、黄河中流の洛陽を副都として東京(とうけい)とする
さらに、江南の物産を都に運ぶために黄河を長江に結ぶ必要
両河の間を流れる淮河(わいが)から長江へ連絡する通済渠(つうさいきょ)を造成する
さらに、江南河を掘り、銭塘江(せんとうこう)に臨む余杭(杭州)へ伸ばし、とうとう中国内陸が海につながる
その運河の恩恵を享受したのが、南北宋時代(960-1279)
これはヨーロッパのルネッサンス期に比される
汴京(べんけい)(開封)と南宋の都・臨安(杭州)の繁栄を伝える『東京夢華録』『清明上河図』
景徳鎮の陶磁器
宋儒(新しい儒教)の大成
水墨山水画の発展
木版印刷による書籍出版
喫茶の習慣定着
農業技術の開発
製紙・漆器・銀器手工業活発化
紙幣の流通