読書逍遥第310回『文明の主役 エネルギーと人間の物語』(その8) 森本哲郎著 2000年発行
『文明の主役 エネルギーと人間の物語』(その8) 森本哲郎著
ゆく河の流れは絶えずして、、
水の流れに関する文明史から、近世日本の水車小屋の風景に話は飛ぶ
日本の田園風景を変えていったのは、菜の花畠。菜種油をつくる水車小屋が全国に見られるようになったのは、江戸も中期、享保以降のことである
したがって、その数十年前の元禄期の芭蕉には菜の花の句はわずか一句しかない
○ やまぶきの露菜の花のかこち顔なるや 芭蕉
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川は文明と同時に文化も育てた。思想、詩情、楽想、絵心、、水の流れは、どれほど人々の思いを様々に結晶させたことか。
孔子は、川のほとりに立って、こう感慨を漏らした
「逝くものは斯(かく)の如きか。昼夜を舎(お)かず」、
古代ギリシアの哲人ヘラクレイトスは、岸に坐して考えた。「人は、同じ川に二度と入ることはできない」。なぜなら、最初に足を浸した川の水は、もう流れ去っているからである。
乱世に生きた鴨長明は『方丈記』の一文をだれもが知っている名文句で始めている。
「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」。
ヘラクレイトスと全くおなじだが、ここには仏教的な、いや、日本的な無常感が吐露されている。
ベートーベンはウィーン郊外のハイリゲンシュタットを流れる小川を逍遥しつつ、「田園交響楽」の楽想を得た。
ローヌ川から引いた運河にかかる「跳ね橋」はゴッホの名画を産んだ。
川が誘い出した人間の想いは、波紋のように精神史を織りなしている。それは水が人々に与えた不思議なエネルギーと言ってもいい。
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風景は時代を語る。ちょうど蕪村が生い立った享保のころ、彼の故郷、摂津近傍の農村には、菜種畠が大地を黄色く染めるようになっていた。
「菜の花や月は東に」をはじめ、蕪村の名句は菜の花に代表される、といってもいいほどだ。
蕪村「菜の花」句
⭕️㫪(うすづく)や穂麦(ほむぎ)が中の水車(みずぐるま)
⭕️菜の花や月は東に日は西に
⭕️菜の花や鯨(くじら)もよらず海暮ぬ
⭕️菜の花や油乏敷(ともしき)小家がち